イスラエルいろいろ

イスラエルってどんなところ? ふだんだれがなにして暮らしてる? そんなギモンを掘り下げてみました。ユダヤ人の歴史・文化にも踏み込んでいきます。

プリムでコスプレ大会! エルサレムのアニコンに潜入

ユダヤ教の祝日のひとつにプリムというお祭りがあります。旧約聖書のエステル記にちなんだもので、ペルシャの王に嫁いだユダヤ人の女性エステルがユダヤ人を殲滅から守るというお話です。

 

イスラエルではこの数日続くお祭りのあいだ、街は仮装をしている人たちで溢れます。ちびっこはもちろん、職場にも仮装して行く習慣らしく、警官が猫耳をつけて歩いたりしています。 

 

さて2018年3月1日にエルサレムのセントラルバスステーションすぐそばの国際コンベンションセンターでプリムにのっかったアニコンがあると聞きつけて行ってきました。

 

建物の入り口ではイスラエル名物セキュリティーチェックが行われており、約二千円の入場料を払って中へ。去年より値上がりしているらしく、イベントの人気ぶりがうかがえます。

 

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一歩中に入ると仮装した若者であふれていました。ナルトやルフィ、ハリーポッター、綾波レイ、ピカチュウ、戦国武将、マリオやルイージなどが縦横無尽に歩き回っています。

 

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                           歩きづらそうだったピカチュウ

 

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                          ブースに集まる参加者たち

 

もちろん日本の夏のコミケと比べると規模は小さいですが、聖地エルサレムでこんなイベントがあるとは……と驚きを隠せません。

 

いいなと思う仮装をしている人たちに声をかけ、写真を取らせてもらいました。学生が中心らしいですが、なりきり度と表現力は大したもの。

 

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  そのまま映画に出れそうな絵になるふたり

 

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                         か、かわいい...…

 

 

とくにポプテピピックの仮装をしているペアが何組かいて、目立っていました。中には当日相方が来られなくなり、ひとりでうろつくピピ美の姿も……。

 

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                               ポーズも完ぺキ!

 

 会場にはたくさんのブースが出ており、自分の作品を売るのはもちろん、日本語スクールや日本の観光の宣伝のブースも出ていました。

 

一日中さまざまなイベントが開催されていてスケジュールが貼りだされており、参加者たちは予定を立ててあっちこっち移動していました。日本人でパリ在住の漫画家カタヒラヨシミさんの講演会や去年はワンピースの声優さんも来ていたとのこと。

 

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                         うしろの二人もいい感じ

 

ためしにひとつのイベントに参加してみました。講演会でテーマは『西遊記』。講演者はヘブライ大学で漫画の講義を行なっている先生。ドラゴンボールも影響を受けたという西遊記のルーツ、上海と日本のアニメーションにおける西遊記の歴史や文化的な表現の違いを話してくれました。途中手塚治虫の西遊記のアニメーションが流れ、孫悟空とヘラクレスが戦っている部分でどっと笑いが起きていました。

 

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                             キマってます

 

当日のメインイベント、コスプレのコンペティションは午後2時から行われました。一階席は満員。全日空がスポンサーとなり会場でくじ引きが行われ、当選者に日本行きの航空券が送られました。贈呈者である駐イスラエル日本大使もルイージの格好をして登場。

 

その後女性二人が司会者となり、寸劇部門、グループ部門、個人部門とカテゴリー別にイベントが進んでいきます。

 

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    画面にはヘブライ語で「コスプレイベント」の文字

 

 

寸劇部門で進撃の巨人チームにはとりわけ大きな歓声が送られていました。

 

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そのほかゲームプレイ用の会場もあり、プレステで遊んだりカードゲームをする若者で一杯でした。

 

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イスラエルは出生率の高い国であり、経済も成長しています。

 

移民の2世、3世となる若者たちには勢いがあり、好きなものに没頭して楽しむ姿はエネルギーのかたまりそのもの。

 

日本の漫画やアニメに対するリスペクトも感じられ、今後ますます漫画とアニメを通じた日本との交流が期待できそうです。

 

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「ポーランドの絶滅収容所」と言わないで! ー論争を呼ぶポーランドの新ホロコースト法案

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2018年2月、ポーランドでホロコーストの新法案が上院可決されました。これから大統領も承認するとみられています。

 

この法案は「ポーランドまたはポーランド人がナチスの犯罪に加担したとするような、事実と反するいかなる公の場での発言も違法とする」というものです。罰則として罰金もしくは最大三年の禁固刑まで課されます。

 

背景には、世界中で「ポーランドの絶滅収容所」という表現が使われ、ホロコーストの責任がポーランドにあるかのような印象を与えることにポーランドが痺れをきらしているようです。オバマ大統領でさえ「ポーランドの絶滅収容所」という表現を使い、のちに謝罪しています。

 

ホロコーストはあくまでナチス政権下のドイツが計画、発案、実行したものであって、ポーランドに責任があるわけではない、と強調することが目的です。

 

しかしこの決定に対しネタニヤフ首相をはじめイスラエルからは糾弾の声があがっています。

 

 エルサレムにあるホロコースト記念館のヤド・ヴァシェムは「 "ポーランドの絶滅収容所" という表現は間違っている」としたうえで、ポーランドの決定を非難しています。

 

ポーランド人がユダヤ人虐殺に加担したという事実は間違いなくあり、新法案が通ればその歴史の事実をゆがめてしまう、というのが主な理由。

 

たとえばイェドヴァブネ事件。1941年にポーランドのイェドヴァブネという小さな町で地元のポーランド人が大きな小屋に少なくとも300人のユダヤ人の男、女、子どもを閉じ込めて生きたまま小屋に火をつけ焼き殺したという事件があります。

 

当初はナチスドイツ軍の仕業だと考えられていたのですが、後に地元のポーランド人によるものだと明らかになりました。その後ポーランドは事件に対し謝罪をしています。

 

したがって新案が通ったとしたら、たとえばジャーナリストや学者が「ポーランドのゲットー」や「ポーランドの絶滅収容所」と書いり言ったりしたら法に触れるのか、という懸念がでてきます。

 

 

 「ドイツは金で許しを買った。ポーランドには何も差し出せるものがない」

 

 法案は認められないとの前提で、ポーランドの心情を理解する声もあります。

 

イスラエルでは1980年代中ごろから、高校生のホロコースト学習旅行が始まりました。毎年平均15,000人の高校生たちがポーランドに行き、ホロコーストについて学びます。

 

この旅行の影響は大で、多感な年ごろの子どもたちに心理的なショックを与えます。泣きだす子どもたちも少なくなく、最後はイスラエルの国旗に身を包んでハティクバというイスラエルの国家を歌います。

 

また、ホロコースト記念日にはイスラエルをはじめとして世界中から人々が集まり、アウシュビッツからビルケナウまで「生の行進」をします。

 

いずれにしても舞台となるのはドイツではなくポーランド。今もナチスの悪を体現するアウシュビッツは物理的にポーランドの土地にあり、多くの人々がそこでネガティブな体験をします。よって彼らの多くが無意識にナチスドイツの行った残虐な行為をポーランドと結び付けてしまうのです。

 

 

一方、ドイツはナチス時代のことを反省してきました。多額の賠償金をイスラエルに支払い、今では新しい自由なドイツを目指して自らベルリンに移住するイスラエルの若者も少なくありません。

 

ポーランド前大統領のレフ・カチンスキはその状況について「ドイツは金で許しを買った。ポーランドには何も差し出せるものがない」と皮肉めいて言いました。

 

それがナチスドイツに占領され、負の遺産を抱えたポーランドのジレンマなのです。

 

ポーランド人の中には自らリスクを侵しユダヤ人を助けた人もいました。杉原千畝も名を連ねる「諸国民の中の正義の人」として認められているのは国籍としてポーランド人が一番多いこともまた事実です。ロンドンに置かれていたポーランド亡命政府はナチスドイツと戦う姿勢を最後まで崩さず、ワルシャワゲットー蜂起の際ポーランドレジスタンス組織はユダヤ人に武器を供給していました。

 

しかしだからといって法律が言論の自由を奪ってはならない。

ポーランド人でナチスドイツに加担した多くの人々の事例に触れることを禁止するようなことはあってはならない。

 

それが法案に反対する人たちの意見です。

 

2月6日の時点で、アンジェイ・ドゥダ現大統領は法案を認める意向を示すとともに、憲法裁判所でさらなる議論を重ねると言っています。

 

 

参考記事: “Germany Bought Israel's Forgiveness With Money. Poland Couldn't Offer You a Thing” by Yuli Tamir, Haaretz, Feb 08 2018,“Poland’s Holocaust Bill Is a Shameful and Futile Attempt to Bury Its WWII Ghosts” by Joseph Pomianowski, Haaretz, Feb 07 2018, “Polish President Approves Controversial Holocaust Bill, but Sends It to Courts for Further Discussion” by Ofer Aderet, Haaretz, Feb 06 2018, “Blaming Poland for the Holocaust Is Unjustified” by Moshe Arens, Haaretz, Feb 05 2018, “Poland's Senate passes controversial Holocaust bill” by Adam Easton, BBC, Feb 01 2018

 

 

 

 

 

アラブ音楽のオールディーズコンサートに熱狂するイスラエル人

エルサレムにできる新しい鉄道駅の名前がトランプ駅になるというニュースが駆け巡った日の翌日、エルサレムの中心地にあるジェラルド・ベハール・センターというコンサート会場に行ってきました。

 

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フィルカット・エル・ヌールという名前のオーケストラのコンサートで、テーマは1950年代から60年代のアラブ映画の曲を演奏するというもの。

 

日本人の私には何のことかわからないまま行きましたが、つまりはオールディーズコンサートで、日本でいう「昭和の歌謡曲コンサート」みたいなものです。

 

60代くらいの方たちが昔を懐かしんで「なごり雪」とか「結婚しようよ」とか聞きに行く感じです。

 

そこで目の当たりにした光景は、アラビア語の歌をノリノリで一緒に歌うイスラエル人たち。

 

歌手が四人登場しましたが、歌は全曲アラビア語。歌手の一人はキッパと言われるユダヤ人特有の帽子をかぶっている男性でした。

 

最後の曲では盛り上がりが最高潮に達し、通路に出ていって踊りだす人も。

 

さて、ヘブライ語を話すはずのイスラエル人なのにアラビア語の曲? と一瞬はてなマークが浮かびますが、なぜこのような光景が見られるのでしょうか。

 

 

ミズラヒと呼ばれる人たち

 

それはイスラエルに存在するミズラヒといわれる人たちにカギがあります。なぜならそこにいてアラビア語で一緒に歌っているイスラエル人がこのグループに属するからです。

 

ミズラヒとは「東」という意味。ヨーロッパから来たユダヤ人に対してアラブ諸国やイラン、北アフリカ、アジアなどから来たユダヤ人のことを指します。

  

 

1948年イスラエルが国となることを宣言してから、アラブ諸国と戦争状態になります。それ以前に多くのイスラム諸国には一定のユダヤ人たちが地元の生活に溶け込んで暮らしていました。

 

イラク、シリア、イエメン、エジプト、モロッコなどに住んでいたユダヤ人たちはそこでアラビア語を母語として暮らしていました。しかしイスラエルが隣国と戦争状態になると、彼らの意志とは関係なくユダヤ人つながりということで一気に立場が悪くなり一部では暴動に発展します。

 

長く暮らしてきた国に居づらくなったことに加え、イスラエルが移民を欲しがっていることもあり、彼らは建国後、続々とイスラエルにやってきます。

 

しかしそこで待っていたのは予想もしない現実でした。

 

当時イスラエルで権力を握っていたのはアシュケナジと言われるヨーロッパ系ユダヤ人たち。ヘブライ語やヨーロッパの言語をしゃべり、ダイアスポラ(離散)の歴史から自分たちを切り離し、新しく革命的に国を作りたいと熱望している人たちでした。

 

一方ミズラヒたちにとってユダヤ教の伝統はとても大事。過去とのつながりは最も尊ぶべきものでした。彼らの肌は浅黒く、文化もヨーロッパより圧倒的にアラブ人の文化に近かった。そんな彼らの文化をアシュケナジ系ユダヤ人は「遅れている」とみなします。

 

そんな彼らはイスラエルに来てもなお昔のように家でアラビア語を話し、アラビア語の映画を見て、その中の歌を生活の中で口ずさんでいました。

 

つまりアラビア語の歌が彼らのオールディーズになるのはごく自然なことだったのです。

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「ハビビってきれいな響きでしょ」

 

 コンサートの歌の中には幾度となく「ハビビ」(アラビア語で「わたしの愛しい人」)という言葉が出てきました。

 

コンサートが終わったあと、目の前にいるミズラヒ系ユダヤ人男性が「ハビビってきれいな響きでしょ。ヘブライ語より全然きれいな言葉なんだ」と言ってきました。それくらい、彼らの青春はアラビア語とくっついているのです。

 

ヨーロッパ系アシュケナジのユダヤ人にとって長らくミズラヒの音楽はアラブ色が強すぎて、到底受け入れられるものではありませんでした。

 

同時に社会的にもミズラヒは長らくアシュケナジと比べて不利な立場にたたされてきたのですが、現政党のリクード党が1977年に勝利してから、ミズラヒの社会進出も進んでいきます。

 

リクード党勝利の背景にはこのミズラヒたちの不満を上手く汲んだため、票が集まったのが大きな一因でした。

 

そして皮肉にも、ミズラヒはアシュケナジよりも右派とされていて、アラブ人やパレスチナ人への対応に厳しい態度をとっています。それは彼らが住んでいたアラビア語圏の場所を追われた体験が大きいと言われています。

 

フィルカット・エル・ヌール・オーケストラは宗教や民族を超えて結成されたオーケストラとされています。ユダヤ人、イスラム教徒、キリスト教徒、ドゥルーズ教徒、アラブ人とイスラエル人のメンバーがひとつのオーケストラで演奏しています。

 

コンサート中に演者がパレスチナとイスラエルの和平のことを口にする場面もありましたが、おそらく観客にとっては自分の懐かしい記憶にどっぷりと浸かっていられる時間だったのでしょう。

 

イスラエル社会の複雑な一面が垣間見えた夜でした。

 

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2018年3月末までにアフリカ移民に国外退去を命じたイスラエル政府

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2018年1月、ネタニヤフ首相がアフリカから来ている移民に対し3ヶ月以内にイスラエルから立ち退くよう命じました。そして先日、3月末までにイスラエルを出ない場合4月1日から強制収監もしくは強制的に退去させると通告を始めました。

 

現在国内に約3万8千人のアフリカ移民がいるとされていますが、そのうち約70パーセントがエリトリア人、残りの20パーセントがスーダン人で、彼らのほとんどが2006年から2012年の間にイスラエルに到着しています。

 

とくに2010年には移民の波が押し寄せ、毎月1,300人の難民がシナイ半島から国境を超えてイスラエルにやってきました。それを止めるため2014年にイスラエルが240キロメートルにも及ぶ電流フェンスをシナイ半島のエジプトとの国境に敷きます。

 

エリトリアの難民は長年続く独裁政治の下で、下手をすると何十年間も続く徴兵から逃れるために難民となるケースが多く、一方スーダンの難民は国内で起きた虐殺や内戦から逃れて来た人たちです。

 

ネタニヤフ首相は彼らを「侵入者」と言いきり、彼らは難民ではなく経済的理由でイスラエルに来ていると主張しています。

 

また、アフリカ系移民が住む地域はテルアビブの南の貧しい地域に集中しており、保守的な人々が彼らを治安の悪化の原因とみなしていることも政府の決定を後押ししていると見られます。

 

イスラエルは難民に対して閉鎖的な国として知られています。

 

難民への対応をEUと比べると、その差は一目瞭然です。EUで難民申請したエリトリア人のうち90パーセント、スーダン人の55パーセントが難民として認められています。一方、イスラエルは何千件という難民申請に対して10人のエリトリア人、そしてなんとたった1人のスーダン人を難民として認めているのみです。

 

難民申請をしている人は一時的なビザを受けて、数カ月ごとに更新しなければなりません。その更新ももうできなくなります。

 

もし自らイスラエルを出て行く決心をしたなら、3,500ドルが政府から支給されるとの条件つきですが、もし命令に従わなかった場合、待っているのは収監もしくは強制退去です。

 

 

行き先はルワンダとウガンダ?

 

もしイスラエルを出た場合、どこへ行くのでしょうか?

 

はっきりとした国名は公表されておらず「過去10年で飛躍的に発展した安定している国」とだけ言われています。

 

メディアによればその国はルワンダとウガンダだと言われています。

しかしルワンダもウガンダもこれを否定しています。(ある情報によればルワンダとイスラエルは内密に契約をかわし、イスラエルが難民1人につき5,000ドルを支払う用意があるとのこと)。

 

そんな中すでにイスラエルから支給金を得て、イスラエルからルワンダへ渡ったエリトリア人男性がいます。

 

その男性は3,500ドルを支給されて、2015年にルワンダへ行きました。ルワンダの空港につくやいなや、イスラエルから発行されていた身分証明書が没収されます。

 

その後他の9人のエリトリア人と、とある「ゲストハウス」に連れて行かれた彼は、身分証明書がないと見つかったら危険だからと言われて外出を禁じられます。

 

二日後、急にウガンダへ行くことを告げられ、そのために150ドルを払え、と言われます。そして国境に来るとまた150ドル払わされます。

 

ウガンダに着いたら今度は不法移民として収監されてしまいます。

 

そして結局自国のエリトリアへ強制送還されそうになったところ、お金を払ってケニアに密入国しケニアで現在難民申請をしているとのこと。

 

つまり、自ら名乗りを上げたところで彼らの身の保証など誰もしてくれないということです。

 

 

声をあげる人たち

 

イスラエル政府の決定に対して国内外で反対の声が上がっています。

 

スーザン・シルバーマンというエルサレムの女性ラビ(アメリカの女性コメディアン、サラ・シルバーマンの姉)が第二次世界大戦のアンネ・フランクになぞらえて、アフリカの難民を家にかくまおうというキャンペーンをはじめました。エルサレムにあるホロコースト記念館も反対の声をあげています。

 

また、エル・アル航空のパイロットたちも難民を移送するフライトをボイコットするよう呼びかけています。

 

さらに35人の著名なイスラエル人作家が署名し、難民を強制移送させないように呼びかける書簡が政府に送られました。その中にはエトガル・ケレット、アモス・オズ、デビッド・グロスマン、アブラハム・B・イェホシュアなど世界的に知られている作家が含まれています。

 

 

イスラエルはそもそも国を追われた人たちが集まってできています。自分たちの祖先が経験してきた苦い過去の歴史はユダヤ人たちに刷り込まれています。血を血で塗るような歴史を経て、パレスチナ人の犠牲の上に成り立っているイスラエル。一体その足場はどこにあるのでしょうか。

 

4月まであと2ヶ月を切りました。

 

はたして抗議の声は届くのでしょうか。

 

 

 

参考記事:“Israel begins handing out deportation notices to African migrants” by Tamar Pileggo and Michel Buchner, 4 Feb 2018, the Times of Israel, “African Deportations are Creating a Religious Controversy in Israel” by Emma Green, The Atlantic, 30 Jan 2018  “Israel orders African refugees to leave country within three months or face prison”, Independent, 2 Jan 2018,  “Amos Oz, David Grossman, Etgar Keret Implore Netanyahu: Do Not Deport Asylum Seekers” by Ilan Lior, Haaretz, 12 Jan 20181,” 10 key questions about Israel’s African asylum seeker controversy” by Melanie Lidman, The Times of Israel 2 Feb 2018

 

写真引用元 : The Euro-Mediterranean Human Rights Monitor

 

 

豚肉を買えるロシアン・スーパー、日本食材が手に入るアジア食品店

エルサレムに住んでいて不満になりがちなのは、やはり食事。

 

イスラエル人は基本豚肉を食べません。甲殻類もだめ。

 

旧約聖書にそう書いてあるんですね。

 

宗教色の薄いテルアビブではあらゆるご飯が楽しめますが、エルサレムは宗教的な人が集まる街なので、ルールを守っている人が多い。

 

そのため豚肉や甲殻類たちに居場所はありません。

 

豚肉が食べられない、海老や貝類が手に入らない……

 

そんな状況がじわじわと外国人を追いつめていきます。

 

そんなときに心強いのがロシアン・スーパー。エルサレム中心地のイェフダ市場の近くにあるKarl Bergというお店(住所: Agripas St 8, Jerusalem)があります。

 

奥まった場所にあるので最初は見つかりにくいです。

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なぜロシア? と最初は思いますが、イスラエルの歴史に関係あるんです。

 

1980年代後半からソビエト連邦崩壊に伴い、ロシアからユダヤ人がどっさりやってきました。

 

彼らのほとんどは無宗教で、ユダヤ教の食のルール(コーシェ)を守りません。

 

またややこしいことに、ロシアから来た移民はイスラエルにおける「ユダヤ人」であることの条件に当てはまらない人も多く、宗教的なユダヤ人からは「ほんとにユダヤ人って言えるの?」と疑問を持たれています。

 

ということで彼らは豚肉を食べます。

 

ロシア人が経営しているスーパーでは豚肉、サラミ、エビ(主に冷凍)、コーシェではないチーズなどが手に入ります。

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しかし宗教的な人たちからは良く思われていず、食のルールを守ってこのスーパーはお店も通りに面しておらず、少し奥まった場所に位置しています。

 

しかし外国人には心強いこのお店。ここで豚肉を買えば、豚カツだって作れます。

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いざというときに知っておくと便利です。

 

もうひとつご紹介したいのは「East and West」という小さなアジア食品店です。

 

 

ここには醤油やお酢、みりん、チューブわさび、うどんスープ、冷凍餃子など日本の食料品が売っているほか、韓国や中国、東南アジア系の食材も手に入ります。規模は小さいですが、調味料の基本的なものは手に入ります。

 

イェフダ市場のすぐ側、ロシアンスーパーの近くにあります。

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イスラエルでは外食が高く、一人でふらっと立ち寄れるような店があまりないので、住むとなったら基本は自炊になります。

 

そんな中、ロシアのスーパーマーケットとアジア食料品店は外国人への大きな助けです。

 

エルサレムの夜散歩

エルサレムの中心地は夜歩くときれいです。

 

普段街に派手さはなく、いかにも宗教人の街という感じですが夜になるとライトアップされて、幻想的な雰囲気がでてきます。

 

東京の白い煌々とした夜に比べると、どこか懐かしさを感じる夜の風景です。

 

まずはメインのヤッフォ通り。建物にプロジェクションをしていました。これは鳩模様。

 

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ライトレールが走ってないときはみんなレールの上を歩きます。電車が来たらよけるという感じ。

 

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こちらは木の模様。

 

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郵便局。

 

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市庁舎前。

 

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ライトレールが到着しました。

 

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プーチンパブを発見。なぜ彼の名前を取ろうと思ったのでしょうか。

 

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旧市街の入り口が見えてきました。

 

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こちらは旧市街近くの公園。

 

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夜にライブなんかもやってます。

 

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旧市街の中に入ってきました。こちらはユダヤ人地区の一画。

 

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ちなみに旧市街は夜一人でいかない方がいいです。

 

ヨーロピアン風広場。

 

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キリスト教地区にポツリとたたずむマリア像。

 

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お店もしまってただただしずか……

 

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エルサレムに旅行にきたら夜の風景も見てみてくださいね。

 

 

最後の授業でイスラエルビールの試飲会?! ―ヘブライ大学1学期のおわり

イスラエルの大学のカレンダーは日本とも欧米とも違っています。

 

ヘブライ大学は1学期が始まるのが10月の中旬からで、終わるのが1月の下旬です。

 

イスラエルでは日本の新年にあたるのが9月なので9月には何もなく、10月に新年度が始まる仕組みになっています。

 

1月1日は普通に授業があります、キリスト教の国ではないのでクリスマス休暇もほぼなし。ただし今年から12月25日だけは大学が休みになりました。

 

そんなヘブライ大学・ロスバーグインターナショナルスクールの2017/2018年度の1学期が終わりました。

 

授業も学期ごとで完結するシステムなので、先生たちはそれぞれ最後の授業でお別れのあいさつをしたり、ちょっとしたイベントで締めくくりをします。

  

イスラエルの政治の授業ではなぜか後半イスラエルビールの試飲会になり、先生が説明をしながら生徒にビールをふるまいました(修士課程なので未成年者はいません)。

 

酒を飲みながらノートをとるというなんとも奇妙な光景……。

 

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 ヘブライ語の最後の授業

 

そしてもっともみんなが達成感にひたるのがヘブライ語の最後の授業。というのも週に三回みっちり授業があるからです。

 

さらにちょっと寂しさも。なぜなら外国語を学ぶというのはみんなで歌を歌ったリ、つたない言葉で自分の思っていることを一生懸命言うので、いくつになっても子どもがえりするような体験です。そんな時間を他人と共有すれば親近感もわくというもの。

 

わたしのクラスは、約20名の生徒がいて「出身国がこれほどバラバラなのはめずらしい」と先生がいうように多国籍な環境でした。イギリス、ドイツ、ウクライナ、スロバキア、チェコ、ポーランド、アメリカ、パレスチナ(エルサレム出身のアラブ系の人たち)、トルコ、韓国、中国、日本から生徒が集まっていました。

 

中にはすでに4人子どものいるお母さん、同性のイスラエル人パートナーと結婚した男性など、20代中心の若者以外にもいろんな人がいました。

 

最後の授業ではアメリカ人の生徒がスコットランドの民謡をバイオリンで弾き、ポーランド人の生徒がポーランドの早口言葉を披露してくれました。

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最後はみんなが各国の食事を持ち寄って、ご飯を食べながらおしゃべり。

 

他のクラスでは泣きだす先生や生徒もいたとか。

 

しかし3日後にはヘブライ語の試験が待っているので感動に浸っている暇もなく……

 

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