イスラエルいろいろ

イスラエルってどんなところ? ふだんだれがなにして暮らしてる? そんなギモンを掘り下げてみました。ユダヤ人の歴史・文化にも踏み込んでいきます。

偽メシア、サバタイ・ツヴィとサバタイ派(後半)

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ガザのネイサン

 

裕福な人たちに愛された偽メシア

サバタイ・ツヴィがメシアであるという考えは、意外にも比較的裕福なユダヤ人たちのあいだで最初に受け入れられました。たとえば、アムステルダムの大金持ちであるアブラハム・ペレイラという人は、サバタイ・ツヴィの熱狂的信者で、聖地であるパレスチナへの旅を真剣に考えていたといわれています。

 

ドイツでも、ラビたちを中心にメシア運動があらわれ、資産を売って聖地への旅に備えるユダヤ人が続出しました。

 

ギリシャでは雲に乗って聖地まで行けると信じ、屋根から飛んだ人が落ちて死ぬなんてことまで記録されています。

 

どんな形であれ、「救済は近い」という心理がサバタイ・ツヴィを信じるユダヤ人の間に広がっていきます。サバタイ・ツヴィはそんな状況でメシアとして担がれていきます。

 

最大のショック。サバタイ・ツヴィのイスラム教への改宗。

各地で熱狂を招いたメシアの到来ですが、1666年、ショッキングな事件がおきます。サバタイ・ツヴィのイスラム教への改宗です。

 

メシアとして名を知られたツヴィは同年、オスマン帝国に捕らえられます。しかしツヴィの収監中もユダヤ人たちの熱狂は醒めやらず、業を煮やしたオスマン帝国は、ついにツヴィをスルタンの前に連れて行きます。死かイスラム教への改宗かを迫られたツヴィは、イスラム教への改宗を選びます。

  

ほんとうのサバタイ派の始まり?

ツヴィのイスラム教への改宗のあとは、当然ながら失望が広がりました。しかし、それでもサバタイ・ツヴィをメシアだと信じる人は一定数残り続けた。

 

ゲルショム・ショーレムは、このツヴィのショッキングな行動を人々が擁護しはじめたことが、本当の意味での「サバタイ派」の出発点だと言います。

 

ではその後、サバタイ・ツヴィを信じ続けた人はどんな道を歩んだのか。

 

まずはじめに、彼らは絶望しかもたらさない外側の現実にだんだんと興味を失い、「隠された内側のリアリティ」なるものを強調しはじめます。

 

とはいえ、サバタイ・ツヴィが改宗してしまったことと、自分たちの中の真実をどうやって折り合えばいいのか? というのは悩みどころ。

 

そこから「メシアの真の使命」という新しい教えが生まれてきます。

 

この教えの中では、サバタイ・ツヴィの改宗は究極的な救済への過程のひとつとして捉えられます。

 

ここでネイサンが従来のカバラに付け足したオリジナル部分を思い出してみましょう。

 

容器の破壊が起こったとき、メシアの魂は途方もない深淵に落ち、下層世界の囚われ人となってしまう。修理の過程を経て、メシアはこの収監状態から自由になる。

 

つまり、「サバタイ・ツヴィが悪の世界に堕ちていくことは必然の過程だった」ということです。

 

 

これ以降サバタイ派はますます異端の色を濃くしていきます。

 

究極のサバタイ派が選んだキリスト教カソリックへの改宗

 

もっとも「行くとこまで行っちゃった」サバタイ・ツヴィ信奉者の一派はフランク派と呼ばれる人たちでしょう。

 

「イスラム教への改宗という矛盾した行動はメシアにのみ許される」と主張する人たちに対して、フランク派の人たちは「メシアがとった行動の矛盾は、普遍的に応用されなければならない」と考えました。

 

フランク派の人たちは、ずばり「内側の真理は、罪深い姿をしていなければならない」と信じます。

 

そしてサバタイ・ツヴィがイスラム教に改宗したように、フランク派の人たちはまとめてカソリックに改宗します。

 

ここまでくると一体何を信じているのかわかりません。

 

おそらく何も信じられなかったのかもしれません。

 

しかし、何も信じられないということさえ一つの動機になり得る。

 

ニヒリズムが燃えに燃えて、それを表現した究極のかたちがこのフランク派なのかもしれません。

 

これ以降、フランク派は近親婚などを繰り返し、だんだんと姿を消していきます。

 

以上がサバタイ・ツヴィの話。

 

興味のある人は、ゲルショム・ショーレムの著作を読んでみてくださいね。

 

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