イスラエルいろいろ

イスラエルってどんなところ? ふだんだれがなにして暮らしてる? そんなギモンを掘り下げてみました。ユダヤ人の歴史・文化にも踏み込んでいきます。

2020年エミー賞8部門ノミネート! Netflixオリジナルシリーズ『アンオーソドックス』が二倍楽しめる9つの豆知識  

2020年公開の映画Netflixリミテッドシリーズ『アンオーソドックス』はエミー賞(9月21日発表)に8部門ノミネートされるなど、高い評価を受けています。特に主演女優賞にノミネートされたイスラエル人女優シーラ・ハスの演技が素晴らしい作品です。

 

『アンオーソドックス』は、独自の文化を守るユダヤ人コミュニティから抜けて、ベルリンへ新しい人生を探しに行くユダヤ人女性を描いた作品ですが、ユダヤ人についての知識がまったくないと日本人には???な部分も多いのが正直なところ。

 

そこで『アンオーソドックス』をより楽しく鑑賞するために、押さえておくといいポイントをまとめてみました。

 

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1 主人公エスティが逃げ出した、ニューヨークのユダヤ人コミュニティ

まず、舞台はニューヨークにある超正統派ユダヤ人と呼ばれるの人たちが暮らすコミュニティから始まります。知らない人は「え? あのニューヨークにこんなところがあるの?」となりますが、実際にあるんです。ブルックリン地区に集中して住んでいて、ユダヤ教の規則を守りながら暮らしています。

 

ユダヤ人の中で伝統的なユダヤ教の規則をきちんと守って生活している人たちを正統派と言います。英語ではorthodix(オーソドックス)。タイトルはorthodox(オーソドックス)に否定の接頭辞un(アン)がついた「アンオーソドックス」ですね。厳しい超正統派の中の暮らしに違和感を感じ、抜け出した「普通ではない」エスティのことを指しています。

 

彼らの社会では日常の隅々まで細かな規則があり、外部の人が簡単に入っていけない独特な環境を形成しています。過去にイスラエルの超正統派のコミュニティを散策したときのブログ記事があるので、雰囲気を知りたい方は参考にしてください→

https://blog.hatena.ne.jp/apriapricot/apriapricot.hatenablog.com/edit?entry=8599973812333441295

 

 

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2 エスティが話すイディッシュ語とは

エスティが話しているのはイディッシュ語という言葉です。イディッシュ語は歴史を通じて世界の様々な地域で暮らしてきたユダヤ人の間で話されてきた特殊な言語です。

 

ユダヤ人は自分のコミュニティではイディッシュ語、コミュニティの外ではその国の言葉と使い分けてきました。なので、主人公のエスティやその他の登場人物もイディッシュ語と英語の二か国語を話します(さらに聖書でヘブライ語、タルムードでアラム語などを使い分けます)。

 

エピソード1の後半で、音楽学院の友人がエスティにドイツ語の三つの言葉を教えるシーンがあります。エスティは「イディッシュ語と同じ」と返します。ここから分かる通り、イディッシュ語とドイツ語は発音がとても似ています。ただし書き文字はヘブライ文字なので、文字からではドイツ語に近いなんて想像もつきません。面白い言語なんです。

 

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イディッシュ語の本の表紙

 

3 ヤエルとエスティの会話に見るイスラエルのユダヤ人と超正統派ユダヤ人の歴史への温度差

エスティはベルリンへ行き、ひょんなことから音楽学院の学生たちと湖へ出かけます。車の中で会話していると、第二次世界大戦の話になり、助手席に座っていたイスラエル人のヤエルとエスティがこんな会話をします。

 

エスティ「祖父母は家族を(強制収容所で)殺された」

ヤエル「イスラエル人もよ。でも、国防に忙しくしてて、過去を嘆く暇はない」

 

この会話はイスラエルのユダヤ人とアメリカの超正統派ユダヤ人の歴史への温度差を示していて面白いところです。

 

どこで暮らしていようと、ユダヤ人にとってホロコーストは大きな歴史的な出来事です。しかし、一般的なイスラエル人にとって、イスラエルという国が存続し続けることが第一で、ホロコーストはその考えに組み込まれる形で存在します。他方、超正統派にはイスラエルという国にこだわらない人たちも多くいます。例えば、イスラエル国内では特別に徴兵制を免れるなど、国への忠誠心より自分のコミュニティ優先な部分があります。

 

超正統派のコミュニティではホロコーストがユダヤ人の宗教と文化を守る使命感を強めたという説もあります。特に、エスティのいた超正統派のグループはサトマール派と呼ばれ、第二次世界大戦後にホロコースト生存者がニューヨークでコミュニティを形成したという特異な過程があります。エピソード3でエスティが妊娠の検査を受けるシーンがありますが、そこでエスティが医者に「私の故郷では子供は宝物なの」と言い、「失われた600万人を取り戻す」と言いますが、そういった感度をよく表しています。一方で、イスラエルは敵国に囲まれ、建国後から戦争の繰り返しで、感傷的に過去に浸っている暇がないという感覚があります。

 

同じユダヤ人であるエスティとヤエルの温度差は、こういうところから来ています。

  

 4 ヴァンセー湖

一行が湖に着くと、仲間の一人が湖の向こう岸を指差して、「建物が見えるか?1942年ナチスはユダヤ人を収容して殺すことを決めた。あの別荘でね」とエスティに言います。この別荘とは有名なヴァンセー会議が行われた場所。ヒトラーを含め、ナチスのトップがユダヤ人の絶滅計画を決定した場所です。

 

ユダヤ人のドイツへの思いは当然ながら特別なものがあり、「ドイツに行きたくない」と言うイスラエル人の若者もいます。 

 

5 エスティがカツラを取ってジーンズに履き替える意味

エスティがカツラをとり、ジーンズに履き替えることは、コミュニティから抜け出していく象徴的なシーンになります。超正統派の女性は結婚したあとにカツラをつけるか頭にスカーフを巻きます。髪の毛を剃るのは、超正統派の中でもどのグループに属すかによって違うそうです。

 

また、超正統派の女性はひざより下の丈のロングスカートを履き、タイツを履きます。ジーンズは履きません。旅行者も超正統派地区に行く場合は、なるべくロングスカートを履いていくことが好ましいです。間違ってもホットパンツやミニスカートはやめましょう。

 

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6 エスティの結婚と子作りへの葛藤からわかる超正統派の女性の役割

結婚前のエスティは、結婚話を持ちかけられ、その後スーパーに行くシーンがあります。そこで二人の女性が、遠くからエスティがどんな女性なのか見定めます。超正統派には、日本人が想像するような恋愛結婚はほぼありません。必ず仲介者や世話役などがいて、二人の結婚話を進めていきます。二人で最初に会うときも世話役が一緒です。

 

エピソード2で、イスラエル人のヤエルが超正統派を「過激でイかれた人たち」「男はユダヤの律法だけを学び、女性は出産マシン」と言いますが、男性は一生勉強を続け、女性は結婚をして子供たくさん産むのが理想です。エピソード3で、エスティに子作りを指南する女性が出てきますが、超正統派には独自の産婦人科医や相談役がいます。

 

7 超正統派とインターネット

エスティを取り戻そうとベルリンにやってきたモシェと、エスティの夫のヤンキー。タクシーの中でモシェがスマートフォンをいじるのを見て、

「それスマートフォンか?」

「あらゆる機能が?」

「ネットも?」

「つまりなんでも検索できる?」

とヤンキーが問い詰める場面があります。超正統派ではこのように、インターネットへのアクセスは全面的に限られています(携帯電話自体は持っていますが、使える機能はかなり限られています)。なので、エピソード3のエスティのように、図書館でネット検索をしようものなら、誰かにやり方を聞くしかありません。

 

また、エピソード2でエスティがみんなの前でピアノを披露しますが、音楽学院の学生たちは入学できる実力はないとすぐに見抜きます。コミュニティ内では外部の情報から遮断され、算数なども学ばないので、一度超正統派のコミュニティを出ると、非常に大変な思いをします。一から外でやり直すことは途方もない努力が必要とされます。

 

8 エスティの母親に見る、超正統派から抜けた人の葛藤

結婚式のシーンでエスティの母親が出てきます。ここで超正統派社会における女性の立場の厳しさがわかります。エスティの母親は、娘の結婚式を一目見ようと来ますが、みんなから拒絶されます。

 

そもそもエスティは最初から「問題児」として異質な存在に見られています。それはエスティの母親が離婚し、コミュニティを出て、ベルリンへ行ったからです。

 

アル中の夫に離婚の非があると考えるのが普通ですが、コミュニティ内で離婚すると、圧倒的に女性が不利な立場に立たされます。同じくアメリカの超正統派コミュニティのNetflixオリジナルドキュメンタリー『ワンオブアス』で、家庭内DVにあって離婚を決意した女性を追っていますが、七人子供を産み、暴力を振るわれたあげく、親権は父親にとられ、思うように子供にも会えない状況に置かれます(『ワンオブアス』の過去のブログ記事はこちら→ https://blog.hatena.ne.jp/apriapricot/apriapricot.hatenablog.com/edit?entry=8599973812334226828)同じく、エスティの母リアも、離婚してエスティを連れて出た時はコミュニティから脅され、弁護士をたてられて親権を奪われたと辛い状況を説明しています。

 

9 ユダヤ教に特有の様々な儀式について

  • 結婚前のエスティが裸になって水につかるシーン。これはミクヴェといって独身から結婚への移行するときに行われる清めの儀式です。生理から七日以上経って行います。(エピソード2)

 

  • モシェとヤンキーが部屋に戻って黒い箱を頭につけ、黒い紐を腕に巻いてお祈りするシーン。この頭の箱と腕の紐はテフィリンと言います。箱には聖書のフレーズが書かれた紙が入っており、紐は利き手ではない方の腕に巻きます。神とのつながりを強くする意味があります。お祈りはエルサレムがある方角に向かってされます。(エピソード2)

 

  • 結婚式で、二人がコップを足で割ります。これは、ローマ軍によるユダヤ人の第二神殿の破壊を覚えておくという意味があります。(エピソード2)

 

  • 台所がアルミホイルで覆われているシーン。ユダヤ教の祝日のひとつ、過ぎ越しの祭の際に行われる習慣です。この時期、小麦粉を使ったの食べ物を家の外から出さなければなりません。使った形跡も消すということで、こういうふうに台所が覆われます。(エピソード4)過ぎ越しの祭についての記事はこちら→ https://blog.hatena.ne.jp/apriapricot/apriapricot.hatenablog.com/edit?entry=17391345971630089309

 

 

以上、知っておくと『アンオーソドックス』がもっと楽しめる豆知識でした。とはいえ、肝心なメッセージは普遍的なので、文化は違えど多くの人が共感できる内容になっています。何よりも、シーラ・ハスの演技が素晴らしい。見てない人はぜひ!

 

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