イスラエルいろいろ

イスラエルってどんなところ? ふだんだれがなにして暮らしてる? そんなギモンを掘り下げてみました。ユダヤ人の歴史・文化にも踏み込んでいきます。

『アップ・アップ・オイ・ヴェイ!――ユダヤ人の歴史、文化、価値観がどのようにアメコミヒーローを形成したか』

スーパーマンが生まれた時の名前、カル=エルはヘブライ語? 悪役ジョーカーの存在は人気観光地での偶然の出会いのおかげ? アメリカのユダヤ人青年たちが生んだマーヴェルとDCのスーパーヒーローの創世記を描いた本のご紹介します。

 

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「ユダヤの伝承と現代アメリカのスーパーヒーローの類似を見つけ出すことは、心踊る貴重な体験だ。スーパーヒーローの背後にある、より深い意味に興味があるなら、本書を楽しんで読んでほしい」スタン・リーはこんなコメントを本書にしています。

 

英語の原題は、Up, Up, And Oy Vey! How Jewish History, Culture, and Values Shaped the Comic Book Superheroです。


著者はシムハ・ワインスタイン(Simcha Weinstein)。 英国マンチェスター・メトロポリタン大学で映画歴史学学士号取得し、卒業後、映画とテレビ番組向けのロケハンの仕事をします。その後、大きな転機が訪れユダヤ教のラビになり、最近ではPBSのアフィリエイトチャンネル13で「ニューヨークの最もヒップなラビ」に選ばれています。ニューヨーク・ブルックリン在住です。 

 

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シムハ・ワインスタイン

 

1930年代、イラストレーションや広告の仕事から締め出されていたユダヤ人たちが当時紙くずとみなされていたコミック本の業界へ参入していきます。そこでスーパーマン、バットマン、スパイダーマン、Xメンなど現在でもハリウッド映画に欠かせないスーパーヒーローたちを次々と生み出すことになります。

 

本書の読みどころは大きく分けて2つ。

第一に、スーパーヒーローの質の変化と、ユダヤ人がアメリカ社会で社会的承認を得ていく過程がパラレルになって読める点。

 

第二に、アメコミヒーローの物語にユダヤ人の歴史と文化が要素として散りばめられている点。

 

異星人としての「よそ者」から、等身大の人間としての「社会の一員」になるまで

初期に生まれたスーパーマンは完全に異星人でした。彼の素性はクリプトン星という地球外の惑星に故郷を持つエイリアンで、人間クラーク・ケントは仮の姿でした。

 

これは当時アメリカ社会でユダヤ人がいかに「よそ者」であったかという事実と重なります。1930年代、アメリカのアイビーリーグの大学ではユダヤ人の入学者を制限するなど、明らかにユダヤ人への差別があった時代でした。安全策として、作者のジェリー・シーゲルとジョー・シュスターはユダヤ人である素性を隠し、あまりユダヤ人ぽくないバーナード・J・ケントンというペンネームでスーパーマンの原稿を送っています。

 

そんな時代に、才能溢れる若きアーティストのユダヤ人たちは、当時「紙屑」として蔑まれ、黎明期にあったコミック業界に入っていきます。というのも、コミック業界だけがいわゆる「まっとうな」イラストレーションの仕事からほぼ締め出されていたユダヤ人を積極的に雇っていたからです。

 

社会的承認欲求の産物としてのスーパーマン 

シーゲルとシュスターは、デートになかなか持っていけない内気なクラークは社会的承認欲求を満たしたいという自分たちの願望から来ていると認めてます。

 

「多くの設定は、自分の葛藤から来ている。ぼくは眼鏡をかけて学校の新聞に絵を描く高校生だった……。遠くから可愛い女の子たちを見ていて思ったんだ……カラフルで身体にぴたっとした衣装を着てたらなあ! って。電車より速く走って、重いものを軽々と持ち上げて、高層ビルの谷間をひとっ飛びできたらなあ! って。そしたら気づいてもらえるのに!」

 

しかし、「スーパーマンの二重のアイデンティティーには二人の願望を超えた普遍性がある」と著者は指摘します。典型的なユダヤ人の意気地なしクラーク・ケントが、服を破り捨て眼鏡を放り投げると、その中にには筋肉隆々の男らしいスーパーマンが姿を現す。それは社会同化を果たせないユダヤ人としての社会承認欲求の現れでもある、という訳です。

 

スーパーマン のたくましさは、「ユダヤ人は本ばかり読み、肉体労働をしないひょろひょろの青白い人たち」という歴史につきまとうユダヤ人のステレオタイプの裏返しとも取れます。スーパーマンは社会同化をしたくてもできない、「よそ者」のユダヤ人の移民である作者たちのもどかしさをバネにした創造力のたまものと言っても過言ではありません。

 

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架空の世界から現実世界へ 

次にバットマンが登場します。バットマンも同じくスーパーヒーローですが、スーパーマン のように生まれつきの超能力を持つ異星人ではなく、高性能のバトルスーツや装備に頼る、等身大の人間でした。宇宙人スーパーマンと比べると「よそ者」レベルは低下しています。しかし、舞台はまだ架空の世界でした。ニューヨークに近似した「ゴッサムシティ」はよく知られていますが、架空の現実世界ですね。

 

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ちなみにジョーカーの誕生は偶然の出会いによるものでした。1939年にバットマンの作者の一人、ボブ・ケインが「ボルシチ・ベルト」と呼ばれる有名な人気観光地で、ジョーカーの生みの親ジェリー・ロビンソンをテニスコートで見つけます。ジャケットに見事なイラストが描かれていたそうです。この地は、アメリカのユダヤ系スタンダップコメディアンの登竜門だった地でもあります。去年公開された映画『ジョーカー』でも主役ジョーカーはスタンダップコメディをやっていますね。

 

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次にキャプテン・アメリカが登場します。ここで、初めて架空の舞台設定から離れ、ユダヤ人作家たちと同じ現実のマンハッタンに生まれたキャプテン・アメリカが登場します。しかしだからといって完全にアメリカ人になりきれない葛藤が残ります。キャプテン・アメリカはいわば「アメリカ人ど真ん中のスーパーヒーロー」を体現した存在ですが、ワインスタインによれば、作者のジャック・カービーとジョー・サイモンは、社会に同化できないコンプレックスを「真のアメリカ人」の創造によって埋めようとしました。

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二重のアイデンティティーを必要としなくなる 

戦争が終わり、1960年代になるとユダヤ人がアメリカ社会で成功し始め、社会同化が差し迫った課題ではなくなります。それに呼応するように、ファンタスティック・フォーではスーパーヒーローに必要不可欠だった大事な要素が消えます。「二重のアイデンティティー」の要素です。スーパーマンとクラーク・ケント 、バッドマンとブルース・ウェイン、キャプテン・アメリカとスティーブ・ロジャース。変装を介して二重の人格を行ったり来たりする設定が必要不可欠でなくなったのです。むしろ、ファンタスティック・フォーのザ・シングは自分のユダヤ人としての出自を明らかにします。

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ザ・シングがユダヤ民族の象徴ダビデの星を見せるシーン


もうユダヤ人は何かの陰に隠れることなく、堂々とユダヤ人として生きていける。そんな時代がやってきた、ということです。

 

最後に、 Xメンの登場です。Xメンは 並外れた能力を持ち、恐れられる一族の物語です。中心キャラクターにはホロコーストを生き延びた過去がある上、さらにユダヤ人を越えて、理解されない少数派に対し読者に共感を呼びかけるメッセージを持つようになります。

 

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このように、架空のクリプトン星から、ユダヤ人移民が暮らしていたマンハッタンへ。全アメリカ人のヒーローを体現するキャプテン・アメリカから、自身がユダヤ人だと明かすザ・シングへ。そしてユダヤ人を超えたマイノリティへの共感へ。それらの変化は、アメリカ社会において「異星人」だったユダヤ人が承認欲求を抱えながら創作に励み、ユダヤ人として自己実現していく過程とも捉えられるのです。

 

アメコミヒーローに反映されるユダヤ人の歴史と文化

 

本書のもうひとつの読みどころは、スーパーヒーローの物語に織り込まれているユダヤ人の文化的遺産です。

 

二つ、例をあげたいと思います。

 

旧約聖書のモーセとスーパーマン 

旧約聖書はユダヤ人の聖典で、ユダヤ人の歴史書の役割も担っています。出エジプト記でユダヤの民に十戒を授けることになるモーセの出自が書かれています。モーセがエジプト王によって殺されることを恐れた母親が、息子を生かそうと葦で編んだ籠にモーセを入れ、ナイル河に流します。滅亡寸前のクリプトン星からスーパーマン となる息子を父ジョー・エルが小さなロケット船に載せ、宇宙空間に発射する話に投影されています。

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ナイル河に流されるモーセ

 

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クリプトン星から脱出させられるスーパーマン

ちなみに、スーパーマン のクリプトン星での本名「カル=エル」はヘブライ語の響きを持っています。カル(קל)はヘブライ語で「軽い」とか「素早い」の意味、エル(אל)は「神」の意味です。

 

超人ハルクとゴーレム

超人ハルクとユダヤ人の最も有名な民間伝承ゴーレムの類似は明らかです。ゴーレムとは土色をした、額にエメット(אמת)という「真実」という意味の三つのヘブライ語文字を刻んでいます。最初の文字(ヘブライ語は右から左に読みます)אを吹き消すと、מתが残り、これが「死」という意味なのでゴーレムは死んでしまう、という話です。

 

超人ハルクはもともと茶色で、ゴーレムのイメージにより近かったそうです。人間の行き過ぎた行いの結果として生み出され、暴走するところもそっくりです。実際1970年の超人ハルクのストーリーでは、超人ハルクが架空の東欧の国を旅し、ユダヤ人アイザックの娘にゴーレムと勘違されるというエピソードがあります。

  

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超人ハルク

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ユダヤの民間伝承ゴーレム

 

こんな風に、本筋を支えるところでユダヤの文化的遺産が散りばめられています。

 

以上、スーパーヒーローファンを公言するユダヤ人著者によって書かれた、目から鱗のスーパーヒーローの裏話が詰まった本のご紹介でした。聖書とポップカルチャーと歴史を通してアメコミスーパーヒーローについて学べる一冊となっています。まだ邦訳されていないのが残念ですが、エッセンスがお伝えできたならさいわいです。

 

 

目次

はじめに:コミック本の民 

第一章 スーパーマン:オハイオ州クリーブランドからクリプトン星へ 

第二章 バットマンとザ・スピリット:都会の闇 

第三章 キャプテン・アメリカ:星条旗の救い  

第四章 ジャスティス・リーグ・オブ・アメリカ:ユダヤ人クリエイターたちの同盟

第五章 ファンタスティック・フォー:機能不全の家族 

第六章 超人ハルクとサブラ:怒りの抑制 

第七章 スパイダーマン:「糸がひっかかるならどこでも・・・」 

第八章 Xメン:突然変異の世代 

おわりに:スパンデックス生地に包まれた気高い教え