イスラエルいろいろ

イスラエルってどんなところ? ふだんだれがなにして暮らしてる? そんなギモンを掘り下げてみました。ユダヤ人の歴史・文化にも踏み込んでいきます。

『アップ・アップ・オイ・ヴェイ!――ユダヤ人の歴史、文化、価値観がどのようにアメコミヒーローを形成したか』

スーパーマンが生まれた時の名前、カル=エルはヘブライ語? 悪役ジョーカーの存在は人気観光地での偶然の出会いのおかげ? アメリカのユダヤ人青年たちが生んだマーヴェルとDCのスーパーヒーローの創世記を描いた本のご紹介します。

 

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「ユダヤの伝承と現代アメリカのスーパーヒーローの類似を見つけ出すことは、心踊る貴重な体験だ。スーパーヒーローの背後にある、より深い意味に興味があるなら、本書を楽しんで読んでほしい」スタン・リーはこんなコメントを本書にしています。

 

英語の原題は、Up, Up, And Oy Vey! How Jewish History, Culture, and Values Shaped the Comic Book Superheroです。


著者はシムハ・ワインスタイン(Simcha Weinstein)。 英国マンチェスター・メトロポリタン大学で映画歴史学学士号取得し、卒業後、映画とテレビ番組向けのロケハンの仕事をします。その後、大きな転機が訪れユダヤ教のラビになり、最近ではPBSのアフィリエイトチャンネル13で「ニューヨークの最もヒップなラビ」に選ばれています。ニューヨーク・ブルックリン在住です。 

 

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シムハ・ワインスタイン

 

1930年代、イラストレーションや広告の仕事から締め出されていたユダヤ人たちが当時紙くずとみなされていたコミック本の業界へ参入していきます。そこでスーパーマン、バットマン、スパイダーマン、Xメンなど現在でもハリウッド映画に欠かせないスーパーヒーローたちを次々と生み出すことになります。

 

本書の読みどころは大きく分けて2つ。

第一に、スーパーヒーローの質の変化と、ユダヤ人がアメリカ社会で社会的承認を得ていく過程がパラレルになって読める点。

 

第二に、アメコミヒーローの物語にユダヤ人の歴史と文化が要素として散りばめられている点。

 

異星人としての「よそ者」から、等身大の人間としての「社会の一員」になるまで

初期に生まれたスーパーマンは完全に異星人でした。彼の素性はクリプトン星という地球外の惑星に故郷を持つエイリアンで、人間クラーク・ケントは仮の姿でした。

 

これは当時アメリカ社会でユダヤ人がいかに「よそ者」であったかという事実と重なります。1930年代、アメリカのアイビーリーグの大学ではユダヤ人の入学者を制限するなど、明らかにユダヤ人への差別があった時代でした。安全策として、作者のジェリー・シーゲルとジョー・シュスターはユダヤ人である素性を隠し、あまりユダヤ人ぽくないバーナード・J・ケントンというペンネームでスーパーマンの原稿を送っています。

 

そんな時代に、才能溢れる若きアーティストのユダヤ人たちは、当時「紙屑」として蔑まれ、黎明期にあったコミック業界に入っていきます。というのも、コミック業界だけがいわゆる「まっとうな」イラストレーションの仕事からほぼ締め出されていたユダヤ人を積極的に雇っていたからです。

 

社会的承認欲求の産物としてのスーパーマン 

シーゲルとシュスターは、デートになかなか持っていけない内気なクラークは社会的承認欲求を満たしたいという自分たちの願望から来ていると認めてます。

 

「多くの設定は、自分の葛藤から来ている。ぼくは眼鏡をかけて学校の新聞に絵を描く高校生だった……。遠くから可愛い女の子たちを見ていて思ったんだ……カラフルで身体にぴたっとした衣装を着てたらなあ! って。電車より速く走って、重いものを軽々と持ち上げて、高層ビルの谷間をひとっ飛びできたらなあ! って。そしたら気づいてもらえるのに!」

 

しかし、「スーパーマンの二重のアイデンティティーには二人の願望を超えた普遍性がある」と著者は指摘します。典型的なユダヤ人の意気地なしクラーク・ケントが、服を破り捨て眼鏡を放り投げると、その中にには筋肉隆々の男らしいスーパーマンが姿を現す。それは社会同化を果たせないユダヤ人としての社会承認欲求の現れでもある、という訳です。

 

スーパーマン のたくましさは、「ユダヤ人は本ばかり読み、肉体労働をしないひょろひょろの青白い人たち」という歴史につきまとうユダヤ人のステレオタイプの裏返しとも取れます。スーパーマンは社会同化をしたくてもできない、「よそ者」のユダヤ人の移民である作者たちのもどかしさをバネにした創造力のたまものと言っても過言ではありません。

 

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架空の世界から現実世界へ 

次にバットマンが登場します。バットマンも同じくスーパーヒーローですが、スーパーマン のように生まれつきの超能力を持つ異星人ではなく、高性能のバトルスーツや装備に頼る、等身大の人間でした。宇宙人スーパーマンと比べると「よそ者」レベルは低下しています。しかし、舞台はまだ架空の世界でした。ニューヨークに近似した「ゴッサムシティ」はよく知られていますが、架空の現実世界ですね。

 

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ちなみにジョーカーの誕生は偶然の出会いによるものでした。1939年にバットマンの作者の一人、ボブ・ケインが「ボルシチ・ベルト」と呼ばれる有名な人気観光地で、ジョーカーの生みの親ジェリー・ロビンソンをテニスコートで見つけます。ジャケットに見事なイラストが描かれていたそうです。この地は、アメリカのユダヤ系スタンダップコメディアンの登竜門だった地でもあります。去年公開された映画『ジョーカー』でも主役ジョーカーはスタンダップコメディをやっていますね。

 

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次にキャプテン・アメリカが登場します。ここで、初めて架空の舞台設定から離れ、ユダヤ人作家たちと同じ現実のマンハッタンに生まれたキャプテン・アメリカが登場します。しかしだからといって完全にアメリカ人になりきれない葛藤が残ります。キャプテン・アメリカはいわば「アメリカ人ど真ん中のスーパーヒーロー」を体現した存在ですが、ワインスタインによれば、作者のジャック・カービーとジョー・サイモンは、社会に同化できないコンプレックスを「真のアメリカ人」の創造によって埋めようとしました。

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二重のアイデンティティーを必要としなくなる 

戦争が終わり、1960年代になるとユダヤ人がアメリカ社会で成功し始め、社会同化が差し迫った課題ではなくなります。それに呼応するように、ファンタスティック・フォーではスーパーヒーローに必要不可欠だった大事な要素が消えます。「二重のアイデンティティー」の要素です。スーパーマンとクラーク・ケント 、バッドマンとブルース・ウェイン、キャプテン・アメリカとスティーブ・ロジャース。変装を介して二重の人格を行ったり来たりする設定が必要不可欠でなくなったのです。むしろ、ファンタスティック・フォーのザ・シングは自分のユダヤ人としての出自を明らかにします。

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ザ・シングがユダヤ民族の象徴ダビデの星を見せるシーン


もうユダヤ人は何かの陰に隠れることなく、堂々とユダヤ人として生きていける。そんな時代がやってきた、ということです。

 

最後に、 Xメンの登場です。Xメンは 並外れた能力を持ち、恐れられる一族の物語です。中心キャラクターにはホロコーストを生き延びた過去がある上、さらにユダヤ人を越えて、理解されない少数派に対し読者に共感を呼びかけるメッセージを持つようになります。

 

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このように、架空のクリプトン星から、ユダヤ人移民が暮らしていたマンハッタンへ。全アメリカ人のヒーローを体現するキャプテン・アメリカから、自身がユダヤ人だと明かすザ・シングへ。そしてユダヤ人を超えたマイノリティへの共感へ。それらの変化は、アメリカ社会において「異星人」だったユダヤ人が承認欲求を抱えながら創作に励み、ユダヤ人として自己実現していく過程とも捉えられるのです。

 

アメコミヒーローに反映されるユダヤ人の歴史と文化

 

本書のもうひとつの読みどころは、スーパーヒーローの物語に織り込まれているユダヤ人の文化的遺産です。

 

二つ、例をあげたいと思います。

 

旧約聖書のモーセとスーパーマン 

旧約聖書はユダヤ人の聖典で、ユダヤ人の歴史書の役割も担っています。出エジプト記でユダヤの民に十戒を授けることになるモーセの出自が書かれています。モーセがエジプト王によって殺されることを恐れた母親が、息子を生かそうと葦で編んだ籠にモーセを入れ、ナイル河に流します。滅亡寸前のクリプトン星からスーパーマン となる息子を父ジョー・エルが小さなロケット船に載せ、宇宙空間に発射する話に投影されています。

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ナイル河に流されるモーセ

 

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クリプトン星から脱出させられるスーパーマン

ちなみに、スーパーマン のクリプトン星での本名「カル=エル」はヘブライ語の響きを持っています。カル(קל)はヘブライ語で「軽い」とか「素早い」の意味、エル(אל)は「神」の意味です。

 

超人ハルクとゴーレム

超人ハルクとユダヤ人の最も有名な民間伝承ゴーレムの類似は明らかです。ゴーレムとは土色をした、額にエメット(אמת)という「真実」という意味の三つのヘブライ語文字を刻んでいます。最初の文字(ヘブライ語は右から左に読みます)אを吹き消すと、מתが残り、これが「死」という意味なのでゴーレムは死んでしまう、という話です。

 

超人ハルクはもともと茶色で、ゴーレムのイメージにより近かったそうです。人間の行き過ぎた行いの結果として生み出され、暴走するところもそっくりです。実際1970年の超人ハルクのストーリーでは、超人ハルクが架空の東欧の国を旅し、ユダヤ人アイザックの娘にゴーレムと勘違されるというエピソードがあります。

  

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超人ハルク

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ユダヤの民間伝承ゴーレム

 

こんな風に、本筋を支えるところでユダヤの文化的遺産が散りばめられています。

 

以上、スーパーヒーローファンを公言するユダヤ人著者によって書かれた、目から鱗のスーパーヒーローの裏話が詰まった本のご紹介でした。聖書とポップカルチャーと歴史を通してアメコミスーパーヒーローについて学べる一冊となっています。まだ邦訳されていないのが残念ですが、エッセンスがお伝えできたならさいわいです。

 

 

目次

はじめに:コミック本の民 

第一章 スーパーマン:オハイオ州クリーブランドからクリプトン星へ 

第二章 バットマンとザ・スピリット:都会の闇 

第三章 キャプテン・アメリカ:星条旗の救い  

第四章 ジャスティス・リーグ・オブ・アメリカ:ユダヤ人クリエイターたちの同盟

第五章 ファンタスティック・フォー:機能不全の家族 

第六章 超人ハルクとサブラ:怒りの抑制 

第七章 スパイダーマン:「糸がひっかかるならどこでも・・・」 

第八章 Xメン:突然変異の世代 

おわりに:スパンデックス生地に包まれた気高い教え 

 

 

2020年エミー賞8部門ノミネート! Netflixオリジナルシリーズ『アンオーソドックス』が二倍楽しめる9つの豆知識  

2020年公開の映画Netflixリミテッドシリーズ『アンオーソドックス』はエミー賞(9月21日発表)に8部門ノミネートされるなど、高い評価を受けています。特に主演女優賞にノミネートされたイスラエル人女優シーラ・ハスの演技が素晴らしい作品です。

 

『アンオーソドックス』は、独自の文化を守るユダヤ人コミュニティから抜けて、ベルリンへ新しい人生を探しに行くユダヤ人女性を描いた作品ですが、ユダヤ人についての知識がまったくないと日本人には???な部分も多いのが正直なところ。

 

そこで『アンオーソドックス』をより楽しく鑑賞するために、押さえておくといいポイントをまとめてみました。

 

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1 主人公エスティが逃げ出した、ニューヨークのユダヤ人コミュニティ

まず、舞台はニューヨークにある超正統派ユダヤ人と呼ばれるの人たちが暮らすコミュニティから始まります。知らない人は「え? あのニューヨークにこんなところがあるの?」となりますが、実際にあるんです。ブルックリン地区に集中して住んでいて、ユダヤ教の規則を守りながら暮らしています。

 

ユダヤ人の中で伝統的なユダヤ教の規則をきちんと守って生活している人たちを正統派と言います。英語ではorthodix(オーソドックス)。タイトルはorthodox(オーソドックス)に否定の接頭辞un(アン)がついた「アンオーソドックス」ですね。厳しい超正統派の中の暮らしに違和感を感じ、抜け出した「普通ではない」エスティのことを指しています。

 

彼らの社会では日常の隅々まで細かな規則があり、外部の人が簡単に入っていけない独特な環境を形成しています。過去にイスラエルの超正統派のコミュニティを散策したときのブログ記事があるので、雰囲気を知りたい方は参考にしてください→

https://blog.hatena.ne.jp/apriapricot/apriapricot.hatenablog.com/edit?entry=8599973812333441295

 

 

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2 エスティが話すイディッシュ語とは

エスティが話しているのはイディッシュ語という言葉です。イディッシュ語は歴史を通じて世界の様々な地域で暮らしてきたユダヤ人の間で話されてきた特殊な言語です。

 

ユダヤ人は自分のコミュニティではイディッシュ語、コミュニティの外ではその国の言葉と使い分けてきました。なので、主人公のエスティやその他の登場人物もイディッシュ語と英語の二か国語を話します(さらに聖書でヘブライ語、タルムードでアラム語などを使い分けます)。

 

エピソード1の後半で、音楽学院の友人がエスティにドイツ語の三つの言葉を教えるシーンがあります。エスティは「イディッシュ語と同じ」と返します。ここから分かる通り、イディッシュ語とドイツ語は発音がとても似ています。ただし書き文字はヘブライ文字なので、文字からではドイツ語に近いなんて想像もつきません。面白い言語なんです。

 

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イディッシュ語の本の表紙

 

3 ヤエルとエスティの会話に見るイスラエルのユダヤ人と超正統派ユダヤ人の歴史への温度差

エスティはベルリンへ行き、ひょんなことから音楽学院の学生たちと湖へ出かけます。車の中で会話していると、第二次世界大戦の話になり、助手席に座っていたイスラエル人のヤエルとエスティがこんな会話をします。

 

エスティ「祖父母は家族を(強制収容所で)殺された」

ヤエル「イスラエル人もよ。でも、国防に忙しくしてて、過去を嘆く暇はない」

 

この会話はイスラエルのユダヤ人とアメリカの超正統派ユダヤ人の歴史への温度差を示していて面白いところです。

 

どこで暮らしていようと、ユダヤ人にとってホロコーストは大きな歴史的な出来事です。しかし、一般的なイスラエル人にとって、イスラエルという国が存続し続けることが第一で、ホロコーストはその考えに組み込まれる形で存在します。他方、超正統派にはイスラエルという国にこだわらない人たちも多くいます。例えば、イスラエル国内では特別に徴兵制を免れるなど、国への忠誠心より自分のコミュニティ優先な部分があります。

 

超正統派のコミュニティではホロコーストがユダヤ人の宗教と文化を守る使命感を強めたという説もあります。特に、エスティのいた超正統派のグループはサトマール派と呼ばれ、第二次世界大戦後にホロコースト生存者がニューヨークでコミュニティを形成したという特異な過程があります。エピソード3でエスティが妊娠の検査を受けるシーンがありますが、そこでエスティが医者に「私の故郷では子供は宝物なの」と言い、「失われた600万人を取り戻す」と言いますが、そういった感度をよく表しています。一方で、イスラエルは敵国に囲まれ、建国後から戦争の繰り返しで、感傷的に過去に浸っている暇がないという感覚があります。

 

同じユダヤ人であるエスティとヤエルの温度差は、こういうところから来ています。

  

 4 ヴァンセー湖

一行が湖に着くと、仲間の一人が湖の向こう岸を指差して、「建物が見えるか?1942年ナチスはユダヤ人を収容して殺すことを決めた。あの別荘でね」とエスティに言います。この別荘とは有名なヴァンセー会議が行われた場所。ヒトラーを含め、ナチスのトップがユダヤ人の絶滅計画を決定した場所です。

 

ユダヤ人のドイツへの思いは当然ながら特別なものがあり、「ドイツに行きたくない」と言うイスラエル人の若者もいます。 

 

5 エスティがカツラを取ってジーンズに履き替える意味

エスティがカツラをとり、ジーンズに履き替えることは、コミュニティから抜け出していく象徴的なシーンになります。超正統派の女性は結婚したあとにカツラをつけるか頭にスカーフを巻きます。髪の毛を剃るのは、超正統派の中でもどのグループに属すかによって違うそうです。

 

また、超正統派の女性はひざより下の丈のロングスカートを履き、タイツを履きます。ジーンズは履きません。旅行者も超正統派地区に行く場合は、なるべくロングスカートを履いていくことが好ましいです。間違ってもホットパンツやミニスカートはやめましょう。

 

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6 エスティの結婚と子作りへの葛藤からわかる超正統派の女性の役割

結婚前のエスティは、結婚話を持ちかけられ、その後スーパーに行くシーンがあります。そこで二人の女性が、遠くからエスティがどんな女性なのか見定めます。超正統派には、日本人が想像するような恋愛結婚はほぼありません。必ず仲介者や世話役などがいて、二人の結婚話を進めていきます。二人で最初に会うときも世話役が一緒です。

 

エピソード2で、イスラエル人のヤエルが超正統派を「過激でイかれた人たち」「男はユダヤの律法だけを学び、女性は出産マシン」と言いますが、男性は一生勉強を続け、女性は結婚をして子供たくさん産むのが理想です。エピソード3で、エスティに子作りを指南する女性が出てきますが、超正統派には独自の産婦人科医や相談役がいます。

 

7 超正統派とインターネット

エスティを取り戻そうとベルリンにやってきたモシェと、エスティの夫のヤンキー。タクシーの中でモシェがスマートフォンをいじるのを見て、

「それスマートフォンか?」

「あらゆる機能が?」

「ネットも?」

「つまりなんでも検索できる?」

とヤンキーが問い詰める場面があります。超正統派ではこのように、インターネットへのアクセスは全面的に限られています(携帯電話自体は持っていますが、使える機能はかなり限られています)。なので、エピソード3のエスティのように、図書館でネット検索をしようものなら、誰かにやり方を聞くしかありません。

 

また、エピソード2でエスティがみんなの前でピアノを披露しますが、音楽学院の学生たちは入学できる実力はないとすぐに見抜きます。コミュニティ内では外部の情報から遮断され、算数なども学ばないので、一度超正統派のコミュニティを出ると、非常に大変な思いをします。一から外でやり直すことは途方もない努力が必要とされます。

 

8 エスティの母親に見る、超正統派から抜けた人の葛藤

結婚式のシーンでエスティの母親が出てきます。ここで超正統派社会における女性の立場の厳しさがわかります。エスティの母親は、娘の結婚式を一目見ようと来ますが、みんなから拒絶されます。

 

そもそもエスティは最初から「問題児」として異質な存在に見られています。それはエスティの母親が離婚し、コミュニティを出て、ベルリンへ行ったからです。

 

アル中の夫に離婚の非があると考えるのが普通ですが、コミュニティ内で離婚すると、圧倒的に女性が不利な立場に立たされます。同じくアメリカの超正統派コミュニティのNetflixオリジナルドキュメンタリー『ワンオブアス』で、家庭内DVにあって離婚を決意した女性を追っていますが、七人子供を産み、暴力を振るわれたあげく、親権は父親にとられ、思うように子供にも会えない状況に置かれます(『ワンオブアス』の過去のブログ記事はこちら→ https://blog.hatena.ne.jp/apriapricot/apriapricot.hatenablog.com/edit?entry=8599973812334226828)同じく、エスティの母リアも、離婚してエスティを連れて出た時はコミュニティから脅され、弁護士をたてられて親権を奪われたと辛い状況を説明しています。

 

9 ユダヤ教に特有の様々な儀式について

  • 結婚前のエスティが裸になって水につかるシーン。これはミクヴェといって独身から結婚への移行するときに行われる清めの儀式です。生理から七日以上経って行います。(エピソード2)

 

  • モシェとヤンキーが部屋に戻って黒い箱を頭につけ、黒い紐を腕に巻いてお祈りするシーン。この頭の箱と腕の紐はテフィリンと言います。箱には聖書のフレーズが書かれた紙が入っており、紐は利き手ではない方の腕に巻きます。神とのつながりを強くする意味があります。お祈りはエルサレムがある方角に向かってされます。(エピソード2)

 

  • 結婚式で、二人がコップを足で割ります。これは、ローマ軍によるユダヤ人の第二神殿の破壊を覚えておくという意味があります。(エピソード2)

 

  • 台所がアルミホイルで覆われているシーン。ユダヤ教の祝日のひとつ、過ぎ越しの祭の際に行われる習慣です。この時期、小麦粉を使ったの食べ物を家の外から出さなければなりません。使った形跡も消すということで、こういうふうに台所が覆われます。(エピソード4)過ぎ越しの祭についての記事はこちら→ https://blog.hatena.ne.jp/apriapricot/apriapricot.hatenablog.com/edit?entry=17391345971630089309

 

 

以上、知っておくと『アンオーソドックス』がもっと楽しめる豆知識でした。とはいえ、肝心なメッセージは普遍的なので、文化は違えど多くの人が共感できる内容になっています。何よりも、シーラ・ハスの演技が素晴らしい。見てない人はぜひ!

 

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エトガル・ケレット『世界を一から創造しなおす』

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エトガル・ケレット

 

エトガル・ケレットという作家をご存知でしょうか。世界40カ国語に翻訳され、アメリカでもよく読まれているイスラエル出身の作家です。日本語にも翻訳されています。

 

「本がもっとも万引きされる作家」「刑務所で一番読まれる作家」とも言われるケレット。

 

その魅力はふざけていて、繊細で、ちょっとブラックで、それなのに温かい世界観にあります。

 

2020年7月22日には、ケレットの最新作の超短編「OUTSIDE」(米New York Times誌に初掲載)を元に、イスラエルと日本が共同で制作したダンス作品が公開されます。日本のダンサーは森山未来。コロナ禍の影響を受けた話で、翻訳は朝日新聞に全文掲載予定だそうです。

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そんなケレット が2015年に929という、オンライン上で旧約聖書を学ぶヘブライ語のサイトに、創世記第一章にちなんだショートエッセイを寄稿しています。

https://www.929.org.il/page/1/post/1

 

タイトルは『לברוא עולם מחדש』(リブロア・オラム・メハダッシュ)=「世界を一から創造しなおす」。幼いケレット が旧約聖書創世記第1章の1節目を読んだ時の戸惑いが語られていて面白いです。

 

創世記第1章とは、「はじめに神は天と地とを創造された」から始まるとても有名な章です。

 

ケレット の両親はホロコースト生存者で、ケレット の作品に影響を与えていることも付け加えておきます。

 

以下、その翻訳です。

 

世界を一から創造しなおす ー0節目で、なにが起こった?ー by エトガル・ケレット 

はじめて聖書を読んだ時のことを覚えている。ぼくは六歳で、第一節を読み終えたところで止まってしまった。二節目に進まず、一節目以前に何が起きたのか、理解したいという強い欲求があった。

 

1節目以前とは、0節目、天と地が創造される前、すべてがはじまる前、あのおそろしい言葉「はじめに」の前だ。世界のあらゆる出来事には、それ以前の出来事があり(もう当時ぼくは知っていた)、これから起きることに影響を与えるもの、変化を起こす原因がある。なのに、突然「はじめに」という言葉、立ち入り禁止の標識、それ以前に起きたことに疑問を挟む余地のない言葉が出てくる。

 

ホロコースト生存者の息子として、その標識が立っている地点、それ以前に起きた恐ろしい出来事に触れないよう、自分自身ではじまりを宣言する地点があると知っていた。聖書も何か秘密を持っている、とぼくは感じた。原初的なトラウマのようなものがある。ここに書かれた最初の言葉以前に起きた何かがある。ぼくはその考えに怖くなった。言葉にできない程のおそろしい出来事って一体なんなのか、ぼくにはわからなかったのだ。だけど、その考えは希望で満たしてもくれた。というのもある時分には、ものごとがあまりにもひどくなった時は、誰もが「もうこれ以上は必要ない」と決められるからだ。

 

誰もが立ち止まって、もう一度やりなおし、世界を一から創造できる。どんな人でも、神でさえも。

 

  

 

 

לברוא עולם מחדש

מה קרה שם, בפסוק אפס?

אני זוכר את הפעם הראשונה שבה קראתי בתנך. הייתי בן שש ואחרי שסיימתי לקרוא את הפסוק הראשון נעצרתי. הדחף החזק לא היה להתקדם לפסוק השני אלא לנסות להבין מה היה שם לפני.

לפני הפסוק הראשון, בפסוק אפס, לפני השמים והארץ, לפני שהכול התחיל, לפני המילה המפחידה הזאת, "בראשית". הרי לכל דבר בעולם, ידעתי כבר אז, היה משהו שהתקיים לפניו, משהו שהשפיע עליו, שגרם לו להשתנות, ופתאום המילה הזאת, שמשמשת תמרור אין כניסה ומונעת ממני לשאול מה התקיים שם לפניה.

כבן לניצולי שואה הכרתי היטב את התמרור הזה, את המקום הזה שמכריז על עצמו כהתחלה, כדי שלא נאלץ להיחשף לזוועות שהתרחשו לפניו. גם התנך, הרגשתי, מסתיר איזה סוד, איזו טראומה קמאית. משהו שהתחולל לפני המילה הראשונה הכתובה בו. המחשבה הזאת הפחידה אותי, שהרי לא ידעתי מה היה אותו דבר נורא שאי אפשר אפילו לנסחו במילים, אבל היא גם מילאה אותי תקווה, כי היא בעצם גילתה שבנקודה מסוימת בזמן, ברגע שבו הדברים הופכים לנוראיים מדי, כל אחד יכול להחליט ש"לא עוד".

כל אחד רשאי לעצור ולהתחיל שוב, לברוא את עולמו מחדש. כל אחד, אפילו אלוהים.

 

(ヘブライ語原文)

 

 

 

 

 

偽メシア、サバタイ・ツヴィとサバタイ派(後半)

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ガザのネイサン

 

裕福な人たちに愛された偽メシア

サバタイ・ツヴィがメシアであるという考えは、意外にも比較的裕福なユダヤ人たちのあいだで最初に受け入れられました。たとえば、アムステルダムの大金持ちであるアブラハム・ペレイラという人は、サバタイ・ツヴィの熱狂的信者で、聖地であるパレスチナへの旅を真剣に考えていたといわれています。

 

ドイツでも、ラビたちを中心にメシア運動があらわれ、資産を売って聖地への旅に備えるユダヤ人が続出しました。

 

ギリシャでは雲に乗って聖地まで行けると信じ、屋根から飛んだ人が落ちて死ぬなんてことまで記録されています。

 

どんな形であれ、「救済は近い」という心理がサバタイ・ツヴィを信じるユダヤ人の間に広がっていきます。サバタイ・ツヴィはそんな状況でメシアとして担がれていきます。

 

最大のショック。サバタイ・ツヴィのイスラム教への改宗。

各地で熱狂を招いたメシアの到来ですが、1666年、ショッキングな事件がおきます。サバタイ・ツヴィのイスラム教への改宗です。

 

メシアとして名を知られたツヴィは同年、オスマン帝国に捕らえられます。しかしツヴィの収監中もユダヤ人たちの熱狂は醒めやらず、業を煮やしたオスマン帝国は、ついにツヴィをスルタンの前に連れて行きます。死かイスラム教への改宗かを迫られたツヴィは、イスラム教への改宗を選びます。

  

ほんとうのサバタイ派の始まり?

ツヴィのイスラム教への改宗のあとは、当然ながら失望が広がりました。しかし、それでもサバタイ・ツヴィをメシアだと信じる人は一定数残り続けた。

 

ゲルショム・ショーレムは、このツヴィのショッキングな行動を人々が擁護しはじめたことが、本当の意味での「サバタイ派」の出発点だと言います。

 

ではその後、サバタイ・ツヴィを信じ続けた人はどんな道を歩んだのか。

 

まずはじめに、彼らは絶望しかもたらさない外側の現実にだんだんと興味を失い、「隠された内側のリアリティ」なるものを強調しはじめます。

 

とはいえ、サバタイ・ツヴィが改宗してしまったことと、自分たちの中の真実をどうやって折り合えばいいのか? というのは悩みどころ。

 

そこから「メシアの真の使命」という新しい教えが生まれてきます。

 

この教えの中では、サバタイ・ツヴィの改宗は究極的な救済への過程のひとつとして捉えられます。

 

ここでネイサンが従来のカバラに付け足したオリジナル部分を思い出してみましょう。

 

容器の破壊が起こったとき、メシアの魂は途方もない深淵に落ち、下層世界の囚われ人となってしまう。修理の過程を経て、メシアはこの収監状態から自由になる。

 

つまり、「サバタイ・ツヴィが悪の世界に堕ちていくことは必然の過程だった」ということです。

 

 

これ以降サバタイ派はますます異端の色を濃くしていきます。

 

究極のサバタイ派が選んだキリスト教カソリックへの改宗

 

もっとも「行くとこまで行っちゃった」サバタイ・ツヴィ信奉者の一派はフランク派と呼ばれる人たちでしょう。

 

「イスラム教への改宗という矛盾した行動はメシアにのみ許される」と主張する人たちに対して、フランク派の人たちは「メシアがとった行動の矛盾は、普遍的に応用されなければならない」と考えました。

 

フランク派の人たちは、ずばり「内側の真理は、罪深い姿をしていなければならない」と信じます。

 

そしてサバタイ・ツヴィがイスラム教に改宗したように、フランク派の人たちはまとめてカソリックに改宗します。

 

ここまでくると一体何を信じているのかわかりません。

 

おそらく何も信じられなかったのかもしれません。

 

しかし、何も信じられないということさえ一つの動機になり得る。

 

ニヒリズムが燃えに燃えて、それを表現した究極のかたちがこのフランク派なのかもしれません。

 

これ以降、フランク派は近親婚などを繰り返し、だんだんと姿を消していきます。

 

以上がサバタイ・ツヴィの話。

 

興味のある人は、ゲルショム・ショーレムの著作を読んでみてくださいね。

 

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偽メシア、サバタイ・ツヴィとサバタイ派(前半)

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サバタイ・ツヴィ

 

 

今回はユダヤ人の歴史の中でも私のお気に入りトピック、偽メシアのサバタイ・ツヴィにまつわる話をご紹介したいと思います。

 

ユダヤ人が1492年にスペインを追い出されたことで、ユダヤ人の歴史における中世が幕を閉じ、近代へ移行していきます。スペインのユダヤ人(セファルディと呼ばれる人たち)は主にオスマン帝国の領土へ、フランスやドイツから追い出されたユダヤ人(アシュケナジーと呼ばれる人たち)はポーランド・リトアニア共和国の領土へと移動していきます。

 

17世紀に入ると、ユダヤ人の歴史上、最もショッキングな出来事が起こります。偽メシアの出現です。

 

そもそもメシアって?

メシアは救世主という意味で、ユダヤ教では「ユダヤ人が現在置かれている苦しい現状から最終的に救ってくれる存在であり、未来に現れるはずの救世主」です。この「最終的には救ってくれる」「未来に現れるはず」という感情は、裏を返せば悲観的な現実認識であって、それを補ってくれるのがメシアという存在です。キリスト教はユダヤ教から派生しましたが、このとき「メシアは来た。それはイエスだ」と信じた人たちがキリスト教徒となっていきました。ユダヤ教徒はイエス=メシアを認めませんでした。ここは重要な違いです。

 

しかしそんなユダヤ人たちに「ついにメシアが現れた」と信じさせる人物が現れます。彼の名はサバタイ・ツヴィ。現在のトルコ、イズミールに1626年に生まれ、カバラの書ゾハールの勉強に勤しみ、禁欲的な生活を送ります。

 

かなりエキセントリックな人物だったようで、普段口にしてはいけない神聖な言葉を平気で口にしたりして、地元のコミュニティーから追放されます。躁鬱の気があり、歌がうまかったサバタイ・ツヴィはだんだんと自分をメシアだと思い始めます。

 

サバタイ・ツヴィ自身がメシアを名乗り出ても、そこまで相手にされなかったかもしれません。実際にサバタイ・ツヴィについて本を書いているゲルショム・ショーレムはツヴィ自身がメシアを名乗ったことを疑っています。

 

そんな彼が偽メシアになったきっかけとなる出会いがありました。躁鬱に悩まされていたツヴィが心の平安を求めて、現在のパレスチナ自治区のガザに旅をしたときのことです。そこでツヴィはある若い男と出会い「あなたはメシアだ」と太鼓判を押されます。

 

その男の名はネイサン。サバタイ・ツヴィを偽メシアに押し上げた張本人と言える男です。

 

さらには、ツヴィとネイサンという個人的要因以外にも、偽メシアの出現を許した条件というものがありました。

 

大きくまとめると以下の3点。

 

1 ルリア流カバラの人気

2 スペイン追放後のユダヤ人たちの心理

3 ユダヤ教のメシアの描きかた

 

ひとつひとつ見てきます。

 

その1 ルリア流カバラの人気

 

その第一歩がルリア流のカバラ。

 

カバラといえばポップスターのマドンナが入れ込んだりもして、ちょっとエキゾチックなおまじない的なものを想像する人が多いですが、ユダヤ教の中では12世紀頃に端を発する、一定の地位をしめているユダヤ思想です。

 

「ルリア流」とついているのは、16世紀にエジプトに生きたルリアさんが独自の解釈を加えて教えたカバラだからです。本人にまつわる書物はほとんど残っていなくて、彼の生徒によってルリア流のカバラが広まったと言われています。印刷技術の発明も手伝って、このルリア流カバラがある程度ユダヤ人に広まっていたことが、サバタイ・ツヴィ信奉を勢いづかせました。

 

その世界観は確かに独特。ちょっとだけかいつまんでみます。

 

はじめに、エイン・ソフ(「終わりがない」という意味)といわれる隠された神が自分の内側にひっこむと、そこに空間が現れる。すると空間にアダム・カドモンという原初の人間が生まれ、目、耳、口、鼻から光が放たれる。目から放たれた光は、やはり光からできている容器に注がれ、光でいっぱいになると容器が破壊する。「容器の破壊」が起こると、一連の「流出」が始まる。この流出は「修理の過程」(ティクーン)と呼ばれ、矛盾した双方向の運動が始まる。双方向とはおおもとの状態から追い出される「追放」と、おおもとの状態へ帰るための「取り戻し」の二重の旅。究極の目的はこの「取り戻し」の過程を経て、おおもとへ回帰することである。

 

どうでしょうか。

 

ちょっと面白いと思った人はゲルショム・ショーレムの本を読んでみるといいかもしれません。

 

ちなみにこの「流出」の図はこんな感じ。『新世紀エヴァンゲリオン』のオープニングにも映っています。

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「流出」の図

 

 

さて、ツヴィのブレーン、ネイサンもこのルリア流カバラを基礎にして教えを発展させていきました。彼がルリアのカバラに付け加えたオリジナルの要素は、以下のようなメシアの魂についてです。

 

「容器の破壊」が起こったとき、メシアの魂は途方もない深淵に落ち、下層世界に囚われてしまう。「修理の過程」を経て、メシアはこの収監状態から自由になる。

 

このメシアの説明が後々重要なポイントになってきます。

 

その2 スペイン追放後のユダヤ人たちの心理

 

しかし、もっと決定的な要因はその頃のユダヤ人が置かれていた状況です。1492年にスペインから追放された後、多くのユダヤ人が心理的な救済を求めていました。これがルリアのカバラの「追放」と「取り戻し」の双方向の旅というコンセプトに現実味を与えます。スペインからの追放の苦しみと、聖地への羨望という心境にぴったりマッチした、というわけです。

 

とりわけ、スペイン時代にやむおえずキリスト教徒に改宗したけれど、実はユダヤ人の信仰を持ち続けていたマラーノ(「豚」という意味!)という人たちの二重生活も、この二重の旅という考え方にリアリティを与えます。

 

さらに1648年、ポーランド・リトアニア共和国内でユダヤ人の虐殺が起こります。これが一層メシアの登場への期待に拍車をかけます。

 

その3 ユダヤ教のメシアの描き方

 

さらにユダヤ教のメシアの描き方もサバタイ・ツヴィを押し上げた要因です。

 

興味深いことに、ユダヤ教の書物にはメシアについての記述はあっても、キリスト教のイエスのようにメシアがどういう人間か詳しく描写していません。ユダヤ教はメシアの人格描写に関心がなかったのです。よって、ツヴィがいかに精神的に不安定であっても、それがメシアとされる際の障壁にはなりませんでした。

 

そしてここからサバタイ・ツヴィをメシアだと信じる動きが、各国に散らばって暮らすユダヤ人コミュニティへと波及していきます。(後半へつづく)

音楽から見るイスラエル2 ー 周縁から流れ込む音楽

前回の記事「音楽から見るイスラエル1」で登場したイスラエル・オールディーズの作り手たちは、主にアシュケナジーと呼ばれるヨーロッパ系ユダヤ人たちでした。

 

今回は、アシュケナジー以外のユダヤ人のイスラエルの音楽への影響を見ていきます。この影響の強まりは、SLIの人気が落ちはじめ、イスラエル人が集団から個へ移行していくと時期と重なっています。

 

ダイアスポラの音楽が蘇る 

タンバリンとアコーディオンを使った、エキゾチックで懐かしい感じの曲。2000年代以降に復興した、ピユットという宗教的な詩に、エティ・アンカリというアーティストが曲をつけたもの。

 

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この曲の詩は、11世紀スペイン時代のユダヤ人で最も偉大な詩人でもあり哲学者であったイェフダ・ハレヴィによって書かれました。「友よ、私の胸にいたときのことを忘れてしまったの?」というフレーズで始まります。

 

エティ・アンカリは2009年に発売した『イェフダ・ハレヴィの歌』というタイトルで、ハレヴィの詩に曲をつけるというコンセプトで一つのアルバムを完成させました。

 

 

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イェフダ・ハレヴィの銅像 

 

このピユットというジャンルは、パレスチナの地以外で暮らしていた離散ユダヤ人(ダイアスポラと言います)の金字塔ともいえる文化的遺産です。ムスリムに支配されていた中世のスペインで暮らしていたユダヤ人は、この時期にダイアスポラのユダヤ人の苦しみ、恋愛、友情、パレスチナの地への憧憬などをテーマに詩をたくさん作ります。

 

その後スペインを追い出されたユダヤ人たちは、新たな地(北アフリカや中東など)でこの詩に曲をつけだし、それぞれのコミュニティーで歌い継いで来ました。

 

そしてイスラエル建国後、彼らはイスラエルにやってきますが、そもそもイスラエルを建国したシオニストと呼ばれるヨーロッパ系ユダヤ人のリーダーたちは、ダイアスポラの生き方そのものに対して否定的でした。なので、ピユット含むダイアスポラ文化も必然的に二次的な扱いを受けます。

 

しかし、ヨーロッパ系ユダヤ人の独占的な影響力が弱まり出すと、このピユットも2000年を過ぎて注目されるようになってきます。

 

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イエメン人歌手という特別な存在

1950年代に、北アフリカやアラブ諸国に住んでいたユダヤ人たちは、イスラエル建国をきっかけに、迫害を受けるなど風当たりが強くなり、イスラエルへ渡ります。

 

彼らはアラビア語をしゃべり、アラブ文化で生きてきたので、ヨーロッパ系イスラエル人とはだいぶ違う文化を持っていました。彼らを総称してミズラヒ(ヘブライ語で『東』の意味)と呼ばれ、彼らの音楽は「ミズラヒ音楽」と呼ばれます。最初に紹介したピユットを歌い継いで来た人たちもこのミズラヒと呼ばれる人たちです。

 

そのミズラヒの中でも、イエメンのユダヤ人はちょっと特別視されていました。

 

というのも、イエメンのユダヤ人ははるか昔から孤立したコミュニティーとして、ずっとイエメンに住み続けていた。地理的にも古代のユダヤ人の国があったパレスチナ地方の近くで生きてきたので、彼らのユダヤ教は外部の影響から守られ、もっとも純粋なユダヤ教のかたちを保持してきた、と考えられているためです。

  

そんなこともあって、イエメン人の女性歌手は神聖視されて重宝されました。ヨーロッパ系の作曲家がイエメン人歌手のために曲を書くことが多かったのです。こちらはブラハ・ツェフィラというイエメン系女性歌手による歌唱↓

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ブラハ・ツェフィラ

 

 

最近でいうとイエメン・ブルースというバンドがあり、日本にも来日したことがあります。アラビア語、ヘブライ語、フランス語で歌うイエメン系の男性ヴォーカル、ラビット・カハラーニの歌のうまさとカリスマ性が光り、一度ライブを聴いてみてほしいです。

  

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ラビット・カハラーニ

 

二つの文化をつなぐギリシャ音楽

イエメン人の歌手がイスラエル社会で光彩を放っていたように、ギリシャ音楽もイスラエルの音楽シーンで特別な地位を占めていました。

 

1950年代前半からギリシャ音楽の要素がイスラエルの音楽に入ってきて、1960年代にその人気のピークを迎えます。

 

なぜそんなに人気が出たのか。

 

それはギリシャの文化が、イスラエルのユダヤ人間で分断されていたヨーロッパ系文化と中東文化の中間にあると感じられたからです。ヨーロッパ系のユダヤ人にとって、ミズラヒの音楽はあまりにもアラブ色が強かったのですが、ギリシャ音楽は異国風に聞こえても、まだヨーロッパ寄りな感じがして馴染みやすかった。

 

ギリシャ音楽の影響を色濃く受けた1952年の『ヤッフォ』という曲があります。ヤッフォとは、今も観光地として知られるテル・アビブの南に位置する港町で、アラブ文化が色濃く残る地です。

 

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当時ヤッフォは古いムスリム文化と新しい移民の文化が交わるところで、異国情緒が溢れ、世界に開かれた雰囲気に溢れていました。歌詞には「ポーランド語の新聞、ルーマニアの雑誌、ギリシャ人の売り子、ヤッフォ」とあって、当時の雰囲気を伝えています。

 

パレスチナン・ヒップホップという反逆児

パレスチナン・ヒップホップバンドと言われるDAMの2008年の『テロリストは誰だ?』という曲。彼らはイスラエルで生まれ育ったパレスチナ人です(イスラエルではイスラエリ・アラブと呼ばれます)。

 

ヘブライ語とアラビア語がどちらも流暢なので、イスラエル・ユダヤ人の聴衆も獲得しています。

 

恵まれない貧しい労働者階級から来ている彼らの歌には、イスラエル・ユダヤ人種差別の問題、経済的および教育的機会の欠如、コミュニティーで蔓延する薬物使用についてのテーマが盛り込まれています。

 

決してメインストリームにならなくても、こういうグループが登場してくるという事実が、イスラエル社会で以前より多様な表現が可能になっているという証拠でもあります。

 

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テル・アビブの周縁から出てきたラップグループSystem Ali 

System Aliは、テル・アビブの南にあるアジャミという貧しい地域を拠点に活動するラップグループ。アコーディオンやヴァイオリンなどの楽器も合わせて演奏されます。

 

アジャミは、かつて「ゲットー」と呼ばれたアラブ系住民が住む地域でした。 2011年、アジャミ地域は急速な開発に見舞われます。いわゆるジェントリフィケーションという、地元住民の生活を無視した、金持ち(ここではユダヤ人)向けの開発でした。

 

彼らはそんな民族差別の絡んだ弱者と強者を分ける社会システムに真っ向から反抗します。

 

このグループの面白いところは、一人一人の民族性が違うこと。アシュケナジー系、ミズラヒ系、キリスト教徒のアラブ系、米国生まれのイスラエル人。

 

なので一人一人が抱える社会問題もばらばら。あるメンバーは軍の徴兵制に反抗し、あるものはアラブのアイデンティティーを訴える。決してひとつの社会問題に集約しようとはしません。

 

各メンバーは母国語でラップするので、ヘブライ語、アラビア語、ロシア語、英語が混じります。彼らの存在そのものが、イスラエルの複雑な社会を反映していると言っていいでしょう。

 

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以上、イスラエルがよくわかる音楽として挙げてみました。

 

イスラエルの音楽はいろいろな音楽の要素を取り入れ、歴史や社会状況を反映させながら変化し続けています。

 

 

 

音楽から見るイスラエル1 ー SLIというイスラエル・オールディーズ

イスラエルの音楽と聞くと、日本では全くイメージがわかない人も多いと思います。なにやら紛争ばかりあるところでしょ、と思っている人はなおさらイスラエルの音楽シーンなど想像もつかないかもしれませんが、イスラエル社会を知るためには格好の題材なのです。

 

イスラエルの音楽には、SLIいうカテゴリーがあります。英語で Songs of the Land of Israel、つまり「イスラエルの歌」という意味で、おおまかに言ってイスラエル・オールディーズの総称を指します。

 

イスラエルという国は意識して「イスラエルの歌」なるものを作りあげる必要があった、というのもイスラエルは世界中の移民から構成されていて、イスラエルにやってくる移民たちは言語も文化的背景もばらばら。そこでSLIは「祖国と農業をテーマにしたヘブライ語で歌われる歌」で人々をまとめる、という意図がありました。 

 

今回はイスラエルの建国前から現在まで、イスラエルの歴史がわかる王道ソングSLIを中心に紹介します。 

 

1. 祖国の歌 (שיר מולדת /シール・モレデット)1934年

イスラエルが建国する前、1934年に書かれた、軍国主義的・プロパガンダ的な曲。祖国と農業をテーマにしています。なぜ祖国と農業なのか? 理由は簡単です。長い歴史の中でユダヤ人は祖国を持たず、農業を職業としてこなかったからです。ユダヤ人は居住する国で土地を持つことが許されず農業ができないため、もっぱら商業をしていました。それは「金に強欲なユダヤ人」というステレオタイプを生み出します。『ベニスの商人』のシャイロックがいい例です。イスラエルはユダヤ人にとって、祖国を持ち、農業に従事できるユートピアの地である。そのイメージをシェアすることはイスラエル建国に向けて必要不可欠でした。

 

 

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2. 友情の歌 ( שיר הרעות/ シール・ハレウット)1948年

1948年イスラエルが建国された頃に書かれた曲。戦場における友情、戦争の悲しみと喜びが混じりあった感情を歌っています。この曲はSLIの代表曲とも言える曲です。パフォーマンスはレハコット・ツヴィヨットという、軍の音楽隊によるもの。のちにイスラエルの音楽シーンで活躍する歌手を次々と生みだします。1970年代に日本で『ナオミの夢』という曲をヒットさせたヘドバとダヴィデのヘドバもここの出身です。

 

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3. 静寂 (שלוייה / シャルヴァ)1967年

軍の音楽隊は1967年から1973年に全盛期を迎えます。1967年はイスラエルがまわりのアラブ諸国に対して劇的な勝利を収めた年。一気に国の自信が増します。この曲の登場はまさに、イスラエルが一丸となって自信にみなぎっていた時期と重なっています。初期のSLIの歌詞には一人称複数の主語「私たち」が多用されますが、これも集団としての意識が強かったから。下の映像はミュージカルっぽくなっていて、エンタメとしても力が入っているのがうかがえます。

 

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4. Lu Yehi (לו יהי/ルー・イェヒ)1973年

ナオミ・シェマールという女性アーティストによる楽曲。ビートルズの「Let it be」のヘブライ語バージョンとして知られています。SLIがフォークソングからポピュラーソングへ移行した転換点にある曲。主語も「私たち」から離れて、個人を表す「私」へシフトしていきます。その変化の最大要因は1973年のヨム・キプール戦争です。「国のトラウマ」と形容されるほどイスラエル人にとっては悲惨な経験だったこの戦争で、イスラエルの国としての自信に陰りが差します。この頃から軍の音楽隊の人気も下がり始め、イスラエル人は集団から個へと意識を向けていきます。

 

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5. YO YA (יו יה /ヨー・ヤー)1973年

1973年に発表されたカヴェレット(כוורת/ Keveret)というバンドの曲。カヴェレットはユーモアや皮肉を混ぜて社会を批判するような曲を生み出しました。この曲の皮肉めいた感じが1973年のヨム・キプール戦争後に人々の感情にマッチして、人気になりました。出だしの歌詞はこんな感じ。

 

キツい罰を食らった

死刑にされたんだ

俺は電気椅子に座って

マイ・カーに別れを告げる

 

椅子だけでも

変えられたら良かったのに

居場所を変えたらツキが変わるって

みんな言うのさ

 

また、カヴェレットはイスラエルのポップとロックを融合させ成功を収めます。映像を見てみればわかりますがギターが4人横一列に並ぶという奇抜な構成。1960年ごろからすでにロックは登場してきていたものの、なかなかメインストリームにはなりませんでした。カヴェレットは楽しいポップロックという感じでメインストリームに加わります。

 

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6. 祖国の授業(שעור מולעדת /シウール・モレデット)1975年

ロックが現れ、人々の感覚が変わるとともに、SLIは次第に「オールディーズ」になっていきます。5と同じカヴェレットの演奏ですが、彼らは意図的にオールディーズを意識したノスタルジックな曲を作りました。ここでは「美しい子供時代」が強調されており、ヨム・キプール戦争後のイスラエル社会に広がったノスタルジックな気分を反映しています。

 

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7. 美しい額  (עטור מצחך /アトゥール・ミツァヘック)1977年

イスラエルの国民的歌手として真っ先に挙げられる人物がいます。アリック・アインシュタインという人物です。軍の音楽隊の出身で、長年第一線を走りながら、フォークソングとポピュラーミュージック、ロックをメインストリームに取り入れた人物としてイスラエル音楽界に多大な影響を与えました。彼の歌でもっとも有名な曲はバラードで『美しい額』という曲。やはり1970年代のノスタルジックな気分を象徴した曲となっています。

 

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8. イスラエルソング (שיר ישראלי / シール・イスラエリ)1993年

明るいアップテンポなノリの曲。「ギリシャのリズムと洗練されたアクセントで、イエメンのトリルとルーマニアのバイオリンで、私は誰? 私は誰?」こんな歌詞で始まる歌。イスラエルの文化は建国以来、ヨーロッパ系のユダヤ人の文化的影響が強いとされています。この曲は、その前提がもはや通用しないイスラエルの新しい姿を全面に打ち出しています。コーラス隊はエチオピア系ユダヤ人たち。多文化で多民族な人々で構成されるイスラエル社会。そんなメッセージが感じ取れる曲です。

 

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9. 祖国の歌(שיר  מולעדעת/シール・モレデット)2010年

この曲はイスラエルの王道ソングに対するアンチ・テーゼの曲として紹介します。イタマール・ズィーグラーによるもの。ミニマルな演奏で、非対称の拍子(7 + 8)は、バルカンやトルコの拍子を取り入れています。1で紹介した曲と同じタイトル。そうすることで、イスラエルの軍隊に対して懐疑や挑戦を投げかけています。ちょっと前には考えられなかったような、新しい感性もが出てきて、支持を集めるようになっています。歌い方も本人も、渋さ満点。

 

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10. これがイスラエル(הכי ישראלי /ハヒ・イスラエリ)2014年

ポップさ全開の曲。ハ・ティクヴァ6というグループの曲。「最高のイスラエル人らしさって? ヘブライ語をうまく話すことができない移民? トルココーヒーやベルギーワッフル、フレンチキス、ギリシャのダンス?」 イスラエル社会の多民族・多文化性がおおっぴらに表現され、イスラエル人の定義はSLIのように画一的ではありえない、という感覚が当たり前になってきた現代のイスラエル社会をよく表した曲と言えるでしょう。

 

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以上、イスラエル社会の変化をよく表している歌を紹介してみました。

 

次回はイスラエル音楽がいかに世界中の多様な音楽を包摂してきたかを見ていきます。