イスラエルいろいろ

イスラエルってどんなところ? ふだんだれがなにして暮らしてる? そんなギモンを掘り下げてみました。ユダヤ人の歴史・文化にも踏み込んでいきます。

音楽から見るイスラエル1 ー SLIというイスラエル・オールディーズ

イスラエルの音楽と聞くと、日本では全くイメージがわかない人も多いと思います。なにやら紛争ばかりあるところでしょ、と思っている人はなおさらイスラエルの音楽シーンなど想像もつかないかもしれませんが、イスラエル社会を知るためには格好の題材なのです。

 

イスラエルの音楽には、SLIいうカテゴリーがあります。英語で Songs of the Land of Israel、つまり「イスラエルの歌」という意味で、おおまかに言ってイスラエル・オールディーズの総称を指します。

 

イスラエルという国は意識して「イスラエルの歌」なるものを作りあげる必要があった、というのもイスラエルは世界中の移民から構成されていて、イスラエルにやってくる移民たちは言語も文化的背景もばらばら。そこでSLIは「祖国と農業をテーマにしたヘブライ語で歌われる歌」で人々をまとめる、という意図がありました。 

 

今回はイスラエルの建国前から現在まで、イスラエルの歴史がわかる王道ソングSLIを中心に紹介します。 

 

1. 祖国の歌 (שיר מולדת /シール・モレデット)1934年

イスラエルが建国する前、1934年に書かれた、軍国主義的・プロパガンダ的な曲。祖国と農業をテーマにしています。なぜ祖国と農業なのか? 理由は簡単です。長い歴史の中でユダヤ人は祖国を持たず、農業を職業としてこなかったからです。ユダヤ人は居住する国で土地を持つことが許されず農業ができないため、もっぱら商業をしていました。それは「金に強欲なユダヤ人」というステレオタイプを生み出します。『ベニスの商人』のシャイロックがいい例です。イスラエルはユダヤ人にとって、祖国を持ち、農業に従事できるユートピアの地である。そのイメージをシェアすることはイスラエル建国に向けて必要不可欠でした。

 

 

www.youtube.com

 

 

 

2. 友情の歌 ( שיר הרעות/ シール・ハレウット)1948年

1948年イスラエルが建国された頃に書かれた曲。戦場における友情、戦争の悲しみと喜びが混じりあった感情を歌っています。この曲はSLIの代表曲とも言える曲です。パフォーマンスはレハコット・ツヴィヨットという、軍の音楽隊によるもの。のちにイスラエルの音楽シーンで活躍する歌手を次々と生みだします。1970年代に日本で『ナオミの夢』という曲をヒットさせたヘドバとダヴィデのヘドバもここの出身です。

 

www.youtube.com

 

 

3. 静寂 (שלוייה / シャルヴァ)1967年

軍の音楽隊は1967年から1973年に全盛期を迎えます。1967年はイスラエルがまわりのアラブ諸国に対して劇的な勝利を収めた年。一気に国の自信が増します。この曲の登場はまさに、イスラエルが一丸となって自信にみなぎっていた時期と重なっています。初期のSLIの歌詞には一人称複数の主語「私たち」が多用されますが、これも集団としての意識が強かったから。下の映像はミュージカルっぽくなっていて、エンタメとしても力が入っているのがうかがえます。

 

www.youtube.com

 

 

 

4. Lu Yehi (לו יהי/ルー・イェヒ)1973年

ナオミ・シェマールという女性アーティストによる楽曲。ビートルズの「Let it be」のヘブライ語バージョンとして知られています。SLIがフォークソングからポピュラーソングへ移行した転換点にある曲。主語も「私たち」から離れて、個人を表す「私」へシフトしていきます。その変化の最大要因は1973年のヨム・キプール戦争です。「国のトラウマ」と形容されるほどイスラエル人にとっては悲惨な経験だったこの戦争で、イスラエルの国としての自信に陰りが差します。この頃から軍の音楽隊の人気も下がり始め、イスラエル人は集団から個へと意識を向けていきます。

 

www.youtube.com

 

 

5. YO YA (יו יה /ヨー・ヤー)1973年

1973年に発表されたカヴェレット(כוורת/ Keveret)というバンドの曲。カヴェレットはユーモアや皮肉を混ぜて社会を批判するような曲を生み出しました。この曲の皮肉めいた感じが1973年のヨム・キプール戦争後に人々の感情にマッチして、人気になりました。出だしの歌詞はこんな感じ。

 

キツい罰を食らった

死刑にされたんだ

俺は電気椅子に座って

マイ・カーに別れを告げる

 

椅子だけでも

変えられたら良かったのに

居場所を変えたらツキが変わるって

みんな言うのさ

 

また、カヴェレットはイスラエルのポップとロックを融合させ成功を収めます。映像を見てみればわかりますがギターが4人横一列に並ぶという奇抜な構成。1960年ごろからすでにロックは登場してきていたものの、なかなかメインストリームにはなりませんでした。カヴェレットは楽しいポップロックという感じでメインストリームに加わります。

 

www.youtube.com

 

 

6. 祖国の授業(שעור מולעדת /シウール・モレデット)1975年

ロックが現れ、人々の感覚が変わるとともに、SLIは次第に「オールディーズ」になっていきます。5と同じカヴェレットの演奏ですが、彼らは意図的にオールディーズを意識したノスタルジックな曲を作りました。ここでは「美しい子供時代」が強調されており、ヨム・キプール戦争後のイスラエル社会に広がったノスタルジックな気分を反映しています。

 

www.youtube.com

 

 

 

7. 美しい額  (עטור מצחך /アトゥール・ミツァヘック)1977年

イスラエルの国民的歌手として真っ先に挙げられる人物がいます。アリック・アインシュタインという人物です。軍の音楽隊の出身で、長年第一線を走りながら、フォークソングとポピュラーミュージック、ロックをメインストリームに取り入れた人物としてイスラエル音楽界に多大な影響を与えました。彼の歌でもっとも有名な曲はバラードで『美しい額』という曲。やはり1970年代のノスタルジックな気分を象徴した曲となっています。

 

www.youtube.com

 

 

8. イスラエルソング (שיר ישראלי / シール・イスラエリ)1993年

明るいアップテンポなノリの曲。「ギリシャのリズムと洗練されたアクセントで、イエメンのトリルとルーマニアのバイオリンで、私は誰? 私は誰?」こんな歌詞で始まる歌。イスラエルの文化は建国以来、ヨーロッパ系のユダヤ人の文化的影響が強いとされています。この曲は、その前提がもはや通用しないイスラエルの新しい姿を全面に打ち出しています。コーラス隊はエチオピア系ユダヤ人たち。多文化で多民族な人々で構成されるイスラエル社会。そんなメッセージが感じ取れる曲です。

 

www.youtube.com

 

 

 

9. 祖国の歌(שיר  מולעדעת/シール・モレデット)2010年

この曲はイスラエルの王道ソングに対するアンチ・テーゼの曲として紹介します。イタマール・ズィーグラーによるもの。ミニマルな演奏で、非対称の拍子(7 + 8)は、バルカンやトルコの拍子を取り入れています。1で紹介した曲と同じタイトル。そうすることで、イスラエルの軍隊に対して懐疑や挑戦を投げかけています。ちょっと前には考えられなかったような、新しい感性もが出てきて、支持を集めるようになっています。歌い方も本人も、渋さ満点。

 

www.youtube.com

 

 

 

10. これがイスラエル(הכי ישראלי /ハヒ・イスラエリ)2014年

ポップさ全開の曲。ハ・ティクヴァ6というグループの曲。「最高のイスラエル人らしさって? ヘブライ語をうまく話すことができない移民? トルココーヒーやベルギーワッフル、フレンチキス、ギリシャのダンス?」 イスラエル社会の多民族・多文化性がおおっぴらに表現され、イスラエル人の定義はSLIのように画一的ではありえない、という感覚が当たり前になってきた現代のイスラエル社会をよく表した曲と言えるでしょう。

 

www.youtube.com

 

以上、イスラエル社会の変化をよく表している歌を紹介してみました。

 

次回はイスラエル音楽がいかに世界中の多様な音楽を包摂してきたかを見ていきます。