遠くから見た分離壁。近くから見た分離壁。
ことばの壁、こころの壁、仕事で壁にぶつかる…。
壁というのはいろいろな比喩に使われます。
しかしエルサレムにあるのはまぎれもないコンクリートの壁。
イスラエルにはパレスチナ自治区と自分たちを隔てるための分離フェンスが敷かれています。
実は大部分は「フェンス」
イスラエルに来るまで知らなかったのですが、写真にあるようなコンクリートの壁はエルサレムのみにあり、全体の約10%。あとの90%は地味なフェンスだったりします。
壁の呼び名もさまざまで、「分離壁」「分離フェンス」「アパルトヘイトの壁」などメディアによって変わってきて、各メディアの主観が反映されます。
イスラエル全体に敷かれているものは比率からいって「分離フェンス」のほうが多いのですが、エルサレムには「分離壁」というのにふさわしいコンクリートの壁があります。
2002年から建設が始まったこの分離壁。
きっかけは第二次インティファーダが始まり、イスラエル内で頻発した自爆テロの増加をくいとめるためでした。
建設後たしかに自爆テロの被害は減ったようです。
しかしその後も「セキュリティ目的」として建設は続いています。
それ以外にもう一つ、イスラエルに常につきまとう「人口問題」にも分離壁は関わっています。イスラエルは「ユダヤ人が大多数の国」をキープすることに主要な関心を置いています。そうでないと、イスラエルという国そのものがぐらつくからです。
エルサレムにシュフラット難民キャンプというパレスチナ難民キャンプがあります。そこはエルサレム市内に位置するのですが、分離壁の外。イスラエルはこの難民キャンプを避けるように壁を建設しました。もしパレスチナという国ができたとして、壁が国境になるとしたら、貧しくて人口の多いシュフラット難民キャンプ はイスラエルでないよ、ということを示すためです。
さらに協定ラインであるグリーンラインを外側にえぐるように分離壁・分離フェンスは敷かれています。
よって国連はいまでもイスラエルのこのグリーンラインを超えた壁の建設をみとめていません。
生活と壁
エルサレムに住んでいると否が応でも壁の存在が目につきます。
大学の教室や、郵便局に行くときには遠くから分離壁がよく見えます。
あまりにも生活の一部になりすぎていて、わざわざ壁があることを指摘する人はいません。
しかしベツレヘムに行くとそうはいきません。
ベツレヘムはエルサレムから40分くらいで着きますが、街に入ると壁に囲まれている感じがありありとしています。
圧迫感というのはこういうことかと感じるくらい、壁が近くに迫っています。
壁には抵抗のメッセージや政治を皮肉るようなメッセージを込めたグラフィティが描かれています。
中には「壁じゃなくてフムスをつくろう」なんていうメッセージも。
下の写真は検問所。エルサレムとベツレヘムの間にあります。ここで身分証明書のチェックや荷物チェックを受けます。パレスチナ自治区に住みながらイスラエルで働いている人たちは毎日ここを行ったり来たりしています。
イスラエルから見ると「セキュリティの壁」。パレスチナから見ると「占領の壁」。
エルサレムにある分離壁は今も続くイスラエルとパレスチナの緊張関係を如実に現しています。
いつかこの壁が、ベルリンの壁のように無くなる日は来るのでしょうか。