ニ日間連続でくる「記憶の日」と「建国記念日」
2018年の4月18日は戦没者を追悼する「記憶の日」、19日はイスラエル70周年の「建国記念日」でした。
イスラエルは戦没者を追悼する日が建国記念日の前日にくるというめずらしい国です。
ある日を境に戦没者を悼むしんみりモードから建国のお祝いモードに一気にスイッチが切り替わります。
今年の「記憶の日」は水曜日の夜から始まりました。この間、あらゆる公的な場での催しやエンターテインメントは禁止されています。
夜8時になるとイスラエル中に大きなサイレンの音が鳴り響き、エルサレムの旧市街の嘆きの壁の前で追悼式が始まります。
当日、嘆きの壁で行われる追悼式に行ってみました。
まず嘆きの壁に近づく前にセキュリティチェックを受けます(観光するときも同じ)。そこを抜けると人が沢山いて、大きなスクリーンが二か所に設置されていました。
追悼式典の席には戦争で家族を失った人や、政府の要人などが座っています。ちなみに自爆テロの犠牲者などもこの「記憶の日」の追悼対象になります。
サイレンが鳴り響き、黙祷が続いたあと大統領がスピーチをし、声のいい歌手が歌を披露。
子どもたちやほかの人たちも真剣に聞いていました。
次の朝になると午前11時に二回目のサイレンが鳴ります。何の日か知らない人はたて続けになるサイレンに「戦争がはじまったのか?」とあわてふためくそうなので、この間に旅行する人は知っておくといいかも。
「記憶の日」の二日目は同日の夜から建国記念日が始まるので、街はだんだんとお祭りの準備に入ります。夜の七時に街に出てみましたが開始時刻までまだ時間があり、「記憶の日」なので浮かれることもできず、街がしずかで不思議なムードにつつまれていました。
そして夜、建国記念日が始まると一瞬でお祭りモードに切りかわります。
蓋が開くように街はお祭りムードになり、花火が上がって通りはパーティーピーポーで溢れ、イスラエルの国旗があちこちでたなびきます。
次の日になると公園ではイスラエル人がバーベキューをします。「建国記念日はバーベキュー」というのがお決まりらしく、場所取り合戦も日本のお花見ぐらい熾烈なんだとか。
この「記憶の日」から一日もブランクなしに建国記念日に入るカレンダーはかなり計画的。「犠牲があったから建国がある」というイスラエルの強いメッセージが込められています。
さらに、つい一週間前はホロコースト記念日の日。
ホロコースト記念日→記憶の日→建国記念日と一週間以内にたて続けにくる祝日に、まともに感情を入れているとついていけそうにないですが、イスラエル人もこの奇妙なスケジュールはモラル的にOKだそうで、「ホロコーストがあり、イスラエルのために戦った人たちがいて、その犠牲の上に建国がある」というストーリーラインを身を持って感じることを進んで受け入れています。